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ページ番号:2409
掲載開始日:2021年6月3日更新日:2021年6月3日
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入間町城山遺跡第55地点出土遺物を市指定有形文化財に指定
市教育委員会は、平成29年度に実施した入間町城山遺跡第55地点の発掘調査で出土した土器71点、石器50点、計121点を市指定有形文化財に指定しました。
これにより、令和3年4月1日現在、市内の指定・登録文化財は77件(国指定4件、国登録9件、都指定4件、市指定60件)になりました。
入間町城山遺跡第55地点1号・2号・4号竪穴住居跡出土遺物
指定年月日
令和3年3月31日
員数
土器71点、石器50点、計121点
種別
有形文化財(考古資料)
制作年代
縄文時代中期
遺跡の概要
入間町城山遺跡は、旧石器時代から中世にかけての集落遺跡で、市域の東端部を流れる入間川左岸の武蔵野段丘縁辺に形成された舌状台地上に立地します。台地上は標高約45メートルで、崖下を流れる入間川沿いの低地部とは、約15メートルの比高差があります。
遺跡範囲は東西約400メートル、南北約650メートルに広がり、これまでに行われた発掘調査では、旧石器時代の石器集中部や礫群、縄文時代中期の竪穴住居跡32軒、弥生時代中期から古墳時代前期の竪穴住居跡83軒、古墳時代後期から奈良時代の竪穴住居跡150軒以上、掘立柱建物跡30棟、中世の竪穴状遺構や地下式坑などが検出されており、入間川(野川)流域を代表する大規模集落と言えます。
第55地点の調査成果
第55地点(入間町2丁目)は遺跡範囲の南端部、舌状台地の先端に位置します。発掘調査は平成29年8月から30年2月にかけて行われ、約4500平方メートルを調査しました。調査の結果、旧石器時代の石器集中部19か所、礫群27基、縄文時代中期の竪穴住居跡15軒、土坑・竪穴状遺構19基、集石土坑3基、弥生時代中期から古墳時代前期の竪穴住居跡21軒、古墳時代後期の竪穴住居跡1軒、古代と思われる竪穴住居跡1軒、中世以降の掘立柱建物跡2棟、溝状遺構7条、柵列9条などを検出するとともに、多量の土器や石器、土製品、石製品、金属製品などが出土しました。
出土遺物の文化財的価値
第55地点の調査では多量の土器や石器などが見つかっています。今回、これら出土遺物のうち、竪穴住居跡3軒(1号・2号・4号住居跡)から出土した縄文土器71点、石器50点、計121点を、市指定文化財に指定しました。
指定した土器群は、縄文時代中期中葉の武蔵野台地で一般的に見られる勝坂2式・3式土器のほか、阿玉台式土器や、勝坂式と阿玉台式との折衷土器が見られます。阿玉台式土器は東関東地方に広く分布する土器型式で、他地域との交流を物語る貴重な資料です。
土器群の器種は、深鉢が大半を占め、そのほかに浅鉢や有孔鍔付土器などが見られます。器面には、顔面装飾突起や人体文、蛇体装飾といった呪術性の強い文様や装飾が施され、その造形は力強く、躍動感にあふれています。縄文時代中期の武蔵野台地で使用された土器の特徴をよく示すまとまった資料であるとともに、当時の生活や精神文化をうかがわせる貴重な資料です。
また、石器群は土器群とともに竪穴住居跡から出土する遺物の標準的な器種構成などを示すもので一括資料として文化財指定します。