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掲載開始日:2021年6月29日更新日:2021年6月29日
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地蔵菩薩立像(妙円地蔵)
地蔵菩薩立像(妙円地蔵)
指定年月日
昭和62年3月31日
種別
有形民俗文化財(民俗)
所在地
調布市菊野台1-32
制作年代
文化2年(1805)
概要
甲州街道沿いに立てられた本地蔵菩薩像は、文化2年(1805)、尼の妙円(みょうえん)によって建立された石造仏で、俗に妙円地蔵と呼ばれています。頭部を欠損しており、昭和62年、地元の有志によって修復されました。
妙円は、俗名を熊といい、武蔵国多摩郡境村新田(現武蔵野市)の農家に生まれました。若くして、金子村(現調布市菊野台のあたり)に嫁ぎましたが、夫が急死したうえ、両眼を失明してしまったことから、出家して寿量妙円と名のりました。
以後、村人のために路傍で鉦をたたいては念仏を唱え続け、集めた浄財をもとに地蔵菩薩像を立てました。それからはこの地蔵の傍らで念仏三昧の日々を送るとともに、村人に頼まれては加持祈祷(かじきとう)を行いましたが、妙円の祈祷はよく効き、必ず効験があったと言い伝えられています。
文化13(1816)年の春、妙円は村人に「来年の10月28日に念仏往生をとげる」と告げると、翌年秋には棺桶や帷子(かたびら)などを買い整え、10月26日になると村中をまわって、世話になった人達にお礼をいい、村人が見守る中、自ら予告した日に1日遅れて、文化14年(1817)10月29日に念仏往生を遂げました。
妙円の生涯は、「南総里見八犬伝」で知られる滝沢馬琴が、その著「玄同放言」(げんどうほうげん)に詳しく紹介したため、当時広く知られるようになりました。
妙円が敲いたとされる鉦は、現在、調布市郷土博物館で保管しています。
地図情報
柴崎駅から徒歩7分