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掲載開始日:2025年4月20日更新日:2025年6月5日
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令和7年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第461号から第464号)
コラム一覧
- 第464号 本来ならば(令和7年6月5日号)
- 第463号 気がつけば半世紀(令和7年5月20日号)
- 第462号 瞳輝く子どもたちを大切に(令和7年5月5日号)
- 第461号 導いて癒されて(令和7年4月20日号)
第464号 本来ならば
大の里あっぱれ。千秋楽に豊昇龍に敗れたとはいえ、綱とりの大きなプレッシャーの中で、あれだけ本来の地力を遺憾なく発揮して他を圧倒するのだから、今後の大横綱への成長が楽しみだ。
ただ、恒例の優勝パレードを観ていて、瞬間的にあれっと思った。なぜなら大の里の隣で旗手を務めたのが小結高安だったから。高安はまさに3月春場所の優勝決定戦における大の里の相手であり一瞬違和感を覚えたのだ。だが考えてみれば、たとえ土俵上で賜杯をかけて雌雄を決したとはいえ、生涯、不倶戴天の敵であるわけもなし、同じ二所ノ関一門(註1)の親しい先輩後輩の間柄と納得した。
それでとっさに少し古いことを思い出した。昔は、一門間の力士同士は本割(註2)では対戦しなかった。だから大の里-高安などの取組はあり得なかったはずだ。部屋別総当たり制度が大相撲に導入されたのは60年前の昭和40年だったとのこと。
その大きな制度改正のおかげで多くの新たな魅力ある取組が実現し、そのことにより一層の切磋琢磨の中で各力士の技量も高まり、それが手に汗握る熱戦の増加をもたらし相撲人気に拍車をかけたと言われている。
やはり、何事も開放的な制度のもとで自由に競い合う環境が確保されるからこそ、向上心に満ちた競争の中でさまざまな好循環が生まれてくるのだろう。
多国間の交易もそうあるべきと、何十年にもわたり各国が協調の上で努力を続けてきたのではなかったですか。トランプさん。
調布市長 長友貴樹
(註1)所属は、大の里が二所ノ関部屋。高安は二所ノ関一門の田子ノ浦部屋。
(註2)発表された取組表に基づいて行われる正式な取組。優勝決定戦は本割以外の取組。
(市報ちょうふ 令和7年6月5日号掲載)
第463号 気がつけば半世紀
昭和51(1976)年に大学を出て就職した職場の所在は虎ノ門だった。その年だったと思うが、麺類が大好物だった父が昼食どきにやってきて、虎ノ門からほど近い西新橋の蕎麦屋に誘われた。
田舎風のごつごつとした舌触りの十割蕎麦。それに、これも腰の強いうどんを組み合わせた合い盛りが名物。加えて濃い目の出汁が絶品のけんちん汁。「合い盛りけんちん」とオーダーする客が多い店だった。
当時父の勤め先は市ヶ谷だったが、私の職場の近くで仕事があるときなどに連絡があって、たまに昼の時間を共に過ごした。父はあまり酒を飲まなかったので居酒屋に同行した覚えは希薄だが、昼の「合い盛りけんちん」の記憶は鮮明だ。
男二人、会話と言ってもお定まりの「仕事はどうだ」程度だったが、父の心情は奈辺にあったのか。手がかかった息子が曲がりなりにも社会人になったという安堵感だっただろうか。
その店が再開発事業で姿を消したときには大いに落胆したが、ほどなく赤羽橋で復活してからは、毎年何回か訪れることを無上の楽しみとしていた。
それだけに、先日久しぶりに足を向けて発見した店頭の張り紙は衝撃的だった。「設備の老朽化や店主の高齢化によりやむを得ず閉店を決定いたしました」。長年お世話になった店の方に礼を言う暇(いとま)もなく。
社会に出て今年で50年目。長かったような、短かったような。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和7年5月20日号掲載)
第462号 瞳輝く子どもたちを大切に
昨年のわが国における出生者数は72万988人で、9年連続減少し統計開始以来最少となりました(註)。今後、労働人口の減少に伴う経済への悪影響もさることながら、もしも子ども・若者が本来日本全体にもたらした活気が失われるとすれば、極めて憂うべき事態と言わねばなりません。
わが国がこれほど極端な少子化に陥った原因につき、現代の若者の結婚観などに関するさまざまな分析がなされていますが、ここでそれに深く言及する気はありません。ただ、新たな家庭を築き、その中でのわが子との温かな交流を思い描く方々にとって、特定の社会的および経済的制約がその思いを実現させることの阻害要因となっているのなら、当然仕組みを改善する必要があります。
近年、国および都もそのような政策の充実には躍起となっており、出産や子育てに関する経済的負担の軽減や児童手当の拡充、高等教育費の補助、はたまた男性育休の取得奨励に至るまでさまざまな支援策を矢継ぎ早に講じています。
市としてもその流れを加速すべく、次ページ以降に記載したように近年広範な子育ておよび教育環境整備に資する施策を積極的に展開しております。
各事業の早期開始を可能にした大きな要因の一つは、議会による問題提起および後押しであり議員の皆様に感謝申し上げるとともに、今後とも良き連携を保たせて頂きながらさらなる施策の充実を図ってまいります。
調布市長 長友貴樹
(註)過去の最多出生者数は、1949(昭和24)年の269万6638人。
(市報ちょうふ 令和7年5月5日号掲載)
第461号 導いて癒されて
幼稚園の春の遠足の日、4月に入園したばかりの娘がカーテンを掴んで、激しく降りしきる雨を窓越しに恨めしそうに眺めながら、涙目で「行きたいの」と呟いた。
その何年後だったか、小学校低学年の息子が泳ぎを習い覚えたというので、訪れたプールで「泳いでみろよ」と言ったら、ちょっとはにかんで「まだ滅茶苦茶だよ」と言いながら、全力で手足を猛烈なスピードで水にたたきつけてなんとか沈まずに水面に浮いていた。
折に触れ、何度も何度も同じ昔の出来事を思い出す。すでにして、私にとっては遠く過ぎ去った子育ての日々。決してすべてが順調に推移したわけではない。当然ながら、喜怒哀楽さまざまなことがあった。しかし今にして思えば、こどもと触れ合い指導する過程で、なんと多くの癒し、安らぎを得ていたことだろう。
そもそもわが子が小学生となり、日常生活における意思の疎通にあまり不自由を感じなくなったと思って以降、親子が緊密に時を過ごす期間はどれほどだろう。おおよそ10年程ではないだろうか。
春4月、桜花爛漫の中で今年も可愛らしい小学1年生の入学式に出席する機会を得て、多少感傷的になりながら、ほのぼのとした想いに浸らせて頂いた。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和7年4月20日号掲載)