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ページ番号:3530

掲載開始日:2024年1月20日更新日:2024年3月5日

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令和5年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第418号から第438号)

長友市長の写真

コラム一覧

第438号 若いがゆえの

同世代の友人と久し振りに会った。彼の日常生活はすでに悠々自適。趣味や健康維持のための活動を活発に行っており、充実した日々を過ごしているように見受けられる。
「うらやましい生活ぶりだな」と言うと、「いや、いざ時間ができると案外思った通りにはいかないものだ」。
そんなものなのかなと思いつつ、やはり自分の余生について考えを巡らせてしまう。そして、行く末に思いを寄せるとき、自然に来し方にも話が及ぶ。
「我々は、まずまずいい時代を生きたと言えるのかな」と水を向けると、「それは間違いないな」。何といっても親の世代と違い、あの悲惨な戦争を体験していない。そして青春時代には、高度経済成長の熱気の中で国力の大いなる伸張を信じて疑わなかった。
そんな会話が進むうちに、彼が妙なことを言う。「忙しかったがすごく充実していた。自分でもよく働いたと思う。ただ、今思い起こしても不思議に思うことがある。繁忙度が極めて高い、いわゆるハイの状態の時に、時折不意に何もかもがふっと虚しくなるような、たとえて言えば車のギアがニュートラルのまま急に入らなくなってしまうようなことがあった。あれは一体何だったのかな」。
そう言われれば私にも思い当たるふしがある。脈絡なく訪れる日常のすべての事象に対する虚無的な感覚。あれは若いがゆえの暴走を防ぐための、ATC(註)のようなものだったのだろうか。はたして。

調布市長 長友貴樹

(註)Automatic Train Control 自動列車制御装置。

(市報ちょうふ 令和6年3月5日号掲載)

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第437号 J1新時代

長い細胞分裂の期間を経過した冬ごもりの昆虫に啓蟄が訪れるように、スポーツ界も球春の到来を迎える季節となった。
従前は、「球春」の対象になる競技といえば野球のみであったが、現在はサッカーにもこの言葉が使われるようになった。今年のサッカーJリーグの開幕は2月23日だ。
そして、ご存じの方も多いだろうが、その1部リーグJ1に、Jリーグ発足以来30年の歴史の中で初めて在京クラブが3クラブ所属することとなる。われらがFC東京に加えて、東京ヴェルディが16年ぶりにJ1に復帰するとともに、FC町田ゼルビアが2009年にJリーグに準加盟して以来、悲願のJ1昇格を果たしたのだ(註1)。3クラブ揃い踏みには一種の感慨がある。
サッカーファンのみならず、多くの東京都民が3クラブの活躍によりサッカー人気がより高まり、それにより東京全体に活気が満ち溢れることを望んでいると思う。特に多摩地域では、26市中11市がホームタウンもしくは出資自治体としていずれかのクラブを応援している(註2)。
わが市は一貫してFC東京を応援しており、私ももちろんJ1初制覇を心待ちにしているが、同時に今シーズンを通して在京クラブ同士のすべての対戦が手に汗を握るような好試合になることを期待している。そして、試合後はサポーターを含めた温かい交歓の輪が、互いをリスペクトしつつ大きく広がれば素晴らしいことだと思う。

調布市長 長友貴樹

(註1)クラブチームFC町田の発足は、1989年。(註2)サッカーのホームタウンとは、Jリーグに所属するクラブの本拠地。FC東京および東京ヴェルディはいずれも東京都。FC町田ゼルビアは町田市。出資自治体としては、FC東京に調布市、三鷹市、府中市、小金井市、小平市、西東京市が、東京ヴェルディに、立川市、日野市、多摩市、稲城市が名を連ねている。また、これら11市以外にも連携協定などで各クラブと緊密な関係を有する自治体が複数存在する。

(市報ちょうふ 令和6年2月20日号掲載)

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第436号 神のみぞ知る

突飛な質問だが、皆さんは日々の暮らしの中でご自分の干支(十二支)をどれほど頻繁に意識しておられるだろうか。私は通常ほとんど意識しない。もっともそれは、自らの干支が唯一架空の動物であることに起因しているのかもしれないが。
ただ、年男と呼ばれる年に、それまでの人生軌跡を12年ごとに区切って顧みることはある。
1952(昭和27)年。この年日本は独立を回復したが、無論まったく記憶はない。1964(昭和39)年。小学校6年生。アジア初のオリンピックに熱狂。1976(昭和51)年。オイルショックさなかの就職氷河期に学業終了。1988(昭和63)年。2回目の欧州駐在からの帰国途次、昭和が終焉。2000(平成12)年。新世紀への移行に深い感慨。3回目の海外勤務時、2年後の市長選挙立候補など夢想だにせず。2012(平成24)年。実感極めて希薄ながら還暦に到達。京王線地下化竣工。
走馬灯をフル回転させるがごとく来し方を振り返りつつ、生を受けて以来のつたない歩みを大掴みで俯瞰(ふかん)すれば、折々の悲喜こもごもな雑事が脳裏をかすめ、いささか感傷的になることは否めない。
そして、2024(令和6)年を迎えた今、これからの1年1年をより大切に過ごしていこうという思いが以前よりかなり強くなってきている。次の辰年がわが人生に存在するかは、神のみぞ知るところだが。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和6年2月5日号掲載)

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第435号 どうか1年油断なく

年が改まり、本年は調布市のみならず日本全国で、コロナ禍を越えて経済活性化を図るために諸活動が年初より活発に展開されると期待していた矢先、北陸地方が元日から大変な自然災害に見舞われました。
被災された地域の皆様に衷心よりお悔やみ及びお見舞いを申し上げます。
発災後現地では、ライフラインが寸断され、食料や暖房用具などの生活必需品が不足する中、寒さ厳しき折、被災者の方々が筆舌に尽くしがたい困難に直面しておられ、全国民が心を痛めています(註1)。
そして、そのような報道に接するとき、どうしても同様な災害がわが地域で発生したらと思わずにはいられません。
たとえば、生活物資の輸送に関しては、今回と比較して大都市圏では比較的早期に供給が行われる可能性があると思われます。しかし、有利な条件ばかりではありません。まず発災直後の情景を想像するとき、極めて不安に思われるのは高い人口密度です。大地震が発生した場合、どうしてもある程度の火災発生が不可避だとすれば、1平方キロメートルあたり約1万人が居住する(註2)ほど家屋が密集する首都圏では消防能力をはるかに上回る災害も予見され、そのことについては大きな恐怖を感じざるを得ません。
とにかく、今回も平時の訓練及び全住民の意識の持ち方の重要性を改めて痛感したところです。1年を通して油断なく備えを固めることに継続してご理解、ご協力をよろしくお願いします。

調布市長 長友貴樹

(註1)市は石川県に毛布、要配慮者用マット、携帯トイレを提供することが可能である旨、申請済みです。また、調布市議会及び調布市社会福祉協議会と共同で1月11日から16日までの平日4日間、調布駅前において災害義援金の募集活動を実施しました。(註2)多摩地域における調布市及び近隣の自治体の人口密度。23区内にはそれより高密度の地域も存在します。

(市報ちょうふ 令和6年1月20日号掲載)

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第434号 たとえ性(さが)であろうとも

当然だが、私が小学生だった頃(昭和30年代)に比べると、日常生活は飛躍的に便利かつ快適になった。だが、そのことの有難みは骨身に沁みて感じるものの、これ以上の進化を今後も盲目的に求めることには、正直言って多少のためらいがある。
なぜなら、たとえばドローンは、近年、物流、空撮、測量など多分野にわたり人々の日常生活に多大なメリットをもたらすようになってきており、今後も多岐にわたる用途拡大が期待されている。
ただし、それはあくまで平和な営みの中での民生利用の範疇(ちゅう)の話だ。一体誰が軍事目的に悪用したのか。同様に、原子力事業や宇宙開発などにおける研究成果が当初の目的を逸脱して軍事利用された、そして今後もされかねないことは周知の事実だ。
有史以来、人間はより良き生活を求めて科学技術研究を重ねてきており、それは今後も未来永劫継続されるだろう。そのことは人間の性と言ってもよい。しかし、18世紀から19世紀の産業革命の時代ならいざ知らず、人類の滅亡にも繋がりかねない大量殺戮兵器を生み出す可能性のある現代の技術革新に、果たして我々は今後も抑制的に向き合うことができるだろうか。
暗澹(たん)たる国際情勢の中、人類の今後に関するさまざまな議論は来年以降どのような進展をみせるのか。なんとしてでも、平和の確保に向けた道筋が確実になる方向に収斂(れん)していくことを望みたいのだが。

来たる年がすべての市民の皆様にとりまして幸多き1年になりますよう、心から祈念申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年12月20日号掲載)

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第433号 たとえ故郷を持たずとも

「失礼ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか」という会話が極めて自然に成り立つ自治体はと言えば、47都道府県中では、当然、東京が筆頭だろう(註)。
私も話の接(つ)ぎ穂を含めて、初対面の方などによくその質問を投げかけさせて頂き、楽しいお国自慢を拝聴したりしている。
また、「ふるさとは遠くにありて」、「ふるさとの山に向ひて」、「ふるさとの訛りなつかし」などの故郷を慕う短歌が、いつの時代も多くの人の支持を得ることはもちろん理解できる。
しかし、このテーマについて私自身は個人的にはまったくの異端であり、そのような心情に深く共感することはない。なぜならば私は父が転勤族だったために、出生以来、中部(新潟)、四国(高松)、中国(広島)、近畿(大阪)、そして現在の関東へと転々と移り住んできた。また、両親の郷里である九州(宮崎)と東北(宮城)には居住経験がない。したがって結局、どの地にも明確な郷土意識というものを持ち得ないまま今に至っている。誠に残念ながら。
それゆえに以前は、ある種の感情にとらわれることが時折あった。それは、私のように望郷の念という感覚を持ち得ないものは、所詮寄る辺ない身の上なのだという索漠たる思いだ。
だが現在私は、自分が人生を通じて最も長く住み、自分にとって終の棲家となった調布において、人々の細やかな温かみに触れる極めて多くの機会を持つことを通じて、このまちがふるさと同様の大きな安堵感を今後も与え続けてくれると確信することができている。

調布市長 長友貴樹

(註)ただし、地元出身者の割合がもっとも低いのは必ずしも東京ではない。国立社会保障・人口問題研究所の2016年「第8回人口移動調査」によれば、47都道府県中、東京(54.4%で下から4番目)より低いのは、埼玉(52.8%)、千葉(52.1%)、神奈川(51.8%)の3県。逆に、上位3県は、新潟(88.0%)、秋田(88.0%)、岩手(87.6%)。

(市報ちょうふ 令和5年12月5日号掲載)

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第432号 秋の夜長の物思い

時折ふと脳裏に浮かぶ、中学生頃の苦笑する思い出がある。
私の場合、およそ普段、家でまじめに勉強した記憶などほとんどないのだが、なんのはずみか不意に猛然と勉学意欲が湧いてくることがあった。「今、この瞬間にも、日本国中、津々浦々で必死に努力している、とてつもない数の同学年の人間(註)がいるのだな。そいつらとの壮大な勝負か。よーし、一丁やったるか」などと思った刹那(せつな)、武者震いを覚え、拳を強く握りしめる。
そして、全身にやる気をみなぎらせ、学力増進を達成するための精緻かつ遠大な計画を懸命に立案しノートに清書する。所要時間は小一時間ほど。作業後は、極めて優れた計画の完成に大いに満足して一人悦に入りながら、こう高らかに宣言する。「やるぞ、あしたから」。
だから駄目なわけだ。決して、「やるぞ、今日から」ではなく、その結果、労作の大計画が翌日以降実行に移されることはついぞなかった。お粗末この上ない追憶で恥ずかしい限りだ。
ただし社会に出てからは、仕事に対してそのような怠惰な姿勢で臨んだことはない。なにゆえか。もちろん報酬を得ることに対する責任が理由の一つではあるが、それ以上に、不必要な業務の停滞により周囲に迷惑をかけることを避けたいと思うからだ。学業怠慢で困るのは自分だけだが。
ところで、そう言えば噴飯ものの自己満足に何度か興じたのは、なぜかいつも秋が深まる頃だったような気がする。秋の夜長の物思いは、ときにゴールのない迷走を凡人にもたらすようだ。

調布市長 長友貴樹

(註)私と同じ1952(昭和27)年生まれの人口は、約200万人。

(市報ちょうふ 令和5年11月20日号掲載)

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第431号 四季あればこそ

「赤い花なら曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」のフレーズをご存じな方は、今ならもう70代以降に限られるのかもしれない。その曼殊沙華(彼岸花)が、今年の彼岸にはまだあまり咲いていなかった。これまでの人生において、はたしてそんな年があっただろうか。
そう言えば、金木犀も東京あたりなら例年9月後半には芳香を漂わせるものだが、今年は随分とその時期が遅れ、かつ盛りが短かったような気がする。
地球上には、1年間を通して常に灼熱あるいは極寒状態という地域も存在するわけだが、日本はたまたま四季がバランスよく移り変わる緯度に位置している。このことは、このうえない幸運ではないかと改めて感じることがある。年によって、厳しすぎる夏や冬への困難な対応に直面することはあるものの、四季の移ろいがあるからこそ、それぞれの季節を愛でることにより心の安寧が保たれ、また、美しい自然情景の変化を素直に感じとるがゆえに、悩みを抱えるときなども無意識に心底癒される。そう私は思っている。
もし年間を通して、一つだけの季節、同一気温という極めて単調な自然条件の中に身を置くとすれば、日々の生活は今と比べてどれほど味気ないことだろう。季語が存在しないゆえに俳句が成立し得ないこと一つを想像するだけでもそう思う。
今年の異常に思えた猛暑は来年以降どうなるのだろうか。あれが常態化しないように願うばかりだ。だが、もしも常態になるとすれば、このような事象は今後、自然がもたらす天災ではなく、地球環境を変化させつつある人間の行為に基づく人災だと結論づけられるのだろう。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年11月5日号掲載)

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第430号 お人柄に心洗われ

妬みや嫉(そね)みなどが存在する俗人社会とは全く無縁のごとく、定めた目標に向けてひたすら誠実に努力する人に接するとき、誠に心洗われる思いがする。
そのような意味で、素晴らしい人生軌跡に、私が大きな感銘を受けた方が、探検家で医師の関野吉晴氏だ。可能な限り文明の利器に頼らずに、人類の起源をたどる旅「グレートジャーニー」を踏破されたことは、人類史上に燦然と輝く大偉業だと言って過言ではない。
一橋大学で法律を学びながら探検部を創設し、アマゾン川流域を含む中南米に頻繁に赴かれ、卒業後は、現地住民の生活に貢献しようと横浜市立大学の医学部に入り直されたとのこと。
私は、壮大な探検内容に圧倒される講演を拝聴する機会に恵まれたのみならず、少人数で直接ご本人から長年の活動にまつわるお話を伺ったことがある。関野氏が医師として調布市内の病院に勤務されていたこともあり、氏の謦咳(けいがい)に接する機会を多くの調布市民が得られたことは本当に幸運だった。
関野氏を敬愛してやまない思いは、当然ながら達成された業績の偉大さに基づく。そして、それに加えて氏のお人柄。あれほどの成果について、ひけらかす素振りを微塵も周囲に感じさせない謙虚な姿勢。また、素人のどんな質問にも、笑みを絶やさずに分かりやすく丁寧に答えられるほのぼのとした心優しさ。未開の地の現地住民の人たちともそのように温かく接してこられたのだろう。
これからも多くの子どもたちに関野氏の体験談を聞かせてあげたいものだ。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年10月20日号掲載)

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第429号 世界の広さを理解して

私の場合、家でテレビを観るにしても、最近は番組のカテゴリーが概ね3種類に限定されてきた。ニュース、スポーツ中継、それと世界各地を紹介する紀行番組。
以前の仕事の関係で外国に住んだのは3回、通算9年間。その対象は2カ国(フランスとベルギー)に過ぎないが、それ以外にさまざまな出張で訪れた国は先進国、発展途上国併せて約30か国。テレビの画面を通じて、往時の出来事を思い起こしながら、それぞれの国を懐かしく偲んでいる。
ただ、世界中には、酷い恐怖独裁国家と言わざるを得ない国が残念ながら何カ国も存在する。しかし、それらの国において、たとえ国際世論から厳しく指弾されている非道な為政者が存在するとしても、その国の国民全体の心根が邪悪であるわけはない。大半の国民は疑いなく心優しい善人である。数多い体験を通してそのことは断言できる。
また青少年には、なんとか理解してもらいたいと思う。地球上に存在する約200の国家間の関係においては、地政学的、歴史的、経済的、その他の要素が複雑に絡み合うがゆえに、長期間にわたり平和を維持することがいかに至難であるかを。そして、平和を希求するには、当然ながらその絡み合う諸事情、単純に言い換えれば「世界の広さ」を深く知る必要があることを。
私は齢(よわい)を重ねる中で、また多くの国の実情を知るにつけ、生を受けて以来平和な国で暮らすことができた幸運をしみじみと感じている。ただ、日本の次世代以降が直面するであろう厳しい国際情勢には、不安の念を拭い去ることができない。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年10月5日号掲載)

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第428号 安全第一に大輪の花を

9月24日(日曜日)の花火大会が、いよいよ目前に迫ってきました。
多くの方の良き思い出となる素晴らしい催しにすべく、市は現在、全力でその準備にあたっております。そこで、どうかお願いいたします。観覧される皆様、事故やトラブルの無い安全な行事運営に何卒ご協力下さい。
コロナ禍により3年以上の間、中止せざるを得なかった諸イベントが多岐にわたる中でも、夏から秋にかけて長年人々を楽しませてきた花火大会については、特にその復活を要望する声が多く寄せられ、今年の全国各地における4年振りの開催では、大変な賑わいが見られていると報じられています。
それは本当に喜ばしいことです。ただ、その歓喜の中で多少の混乱も発生しているようです。
まず、コロナ禍前より多くの観覧者が来場され、会場外に人が溢れてかなり混雑した大会もあったようです。どうか、会場内外問わず係員の指示に従って、すべての人が無理なく花火を見られるよう整然と行動して下さい。また、路上へのポイ捨てなどごみの不法投棄は厳に慎んで頂くようお願いします。
それと、もっとも心配なのは、打ち上げ開始以降に突如スコールのような激しい雨に見舞われた場合に、会場内の多くの方が逃げ惑うように出口方向のぬかるんで滑りやすい土手に殺到することです。22年前の明石市の事故(註)のような大惨事を引き起こさないためにも、非常時には係員の指示に従ってくれぐれも冷静な移動を心掛けて下さい。
どうか生涯忘れ得ぬ心楽しいイベントになりますように。

調布市長 長友貴樹

(註)2001年7月21日の兵庫県明石市の花火大会における、駅の歩道橋で生じた異常な混雑により発生した「群衆なだれ」による大事故。死者11名、負傷者247名。負傷者数は、明石市の公式資料による。

(市報ちょうふ 令和5年9月20日号掲載)

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第427号 友の会が発足

今夏、姉妹都市木島平村に2度赴いた。
往訪目的の一つは、4年ぶりに開催された村の夏祭りへの参加。夕方以降の吹き抜ける風の心地よさを感じつつ、家族連れの村人が三々五々会場に集まってこられる中で、長年にわたって醸成された和やかな村の雰囲気の輪の片隅に身を置くだけで、いつもそこはかとない安堵感を覚える。コロナによるやむを得ぬ中断はあったものの、本当に長年にわたって貴重な体験をさせて頂き有難い限りだ。東京の喧騒がまるで遠い国の出来事のように感じられる。また、調布市文化協会やそば打ちのサークルなどの会員の方たちには、積極的に参加して祭りを盛り上げて頂き感謝に堪えない。皆様、いつも本当に有難うございます。
いま一度は、「調布友の会」の設立総会への出席。これは、姉妹都市交流を一層促進するために木島平村で創設された団体で、50人を超える村民が会員となり、調布市との絆をこれまで以上に深める活動を積極的に展開されるとのこと。調布市側には、すでに平成22年に発足した「調布・木島平交流クラブ」があり、従来より活発な事業を展開してこられた。交流クラブの存在が、友の会の結成を促した側面もあると思われるが、いずれにせよ、両自治体の村民、市民の皆さんの自発的な活動に心から感謝申し上げたい。
友の会のコンセプトは、「調布市に遊びに行こう」とのこと。調布市で催される各種イベントに併せて企画される木島平村からのツアーを楽しみにお待ちしよう。

調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和5年9月5日号掲載)

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第426号 人生の達人?

誰しも、あまり一般的ではない、否、むしろ奇抜とも言える発想やものの見方に接した経験をお持ちではないだろうか。
私がまだ30代ぐらいの頃、ある先輩が仰った。「長友君、きみね、もしどうしても自分を誰かに認識させたい、自分のことをその人に知ってほしいと思ったらどうする」。「さあ、どうすればいいんですかね」。「簡単だよ。その人物の行動経路を調べて、1週間に3回その人の前に立つんだ。そうすれば、必ず記憶に留めてもらえる」。
同じ先輩はこうも言われた。ある人に対する人物評で、「正直言うと、僕は彼に不信感を持っている。それは、先日の課内旅行の設営の仕方にあまり賛同できなかったから」。思わず笑いそうになるのをこらえながら、「しかし、それは仕事以外の遊びの話ですよね」と言うと、「きみね、仕事に全力投球するのは当たり前のことだろ。それは最低限の義務的行為だ。だから、人間の実力は仕事以外のところでこそ測られるのだ」。
そのときは、ふーんそんなものかなという程度にしか受け止めなかったが、今思い起こせば、まあ一理あるかも、あるいは含蓄に富んだ言葉かなと思えないこともない。
採用するかどうかはあくまでも各人の自由であるが、そのような一種味のある処世術や人生観について示唆してくれる御仁は今でも至るところに存在しておられるのだろうか。

調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和5年8月20日号掲載)

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第425号 夏祭りの屋台

私が小学生の頃、わが家では子どもがテレビを観る時刻は原則午後8時までと決められていた。それなので、概ね9時前には就寝していた。
それと、昼はともかく夜に家族で外食したという記憶はほとんどない。週末も含めて。考えてみれば、経済的な事情以前に、家族連れで訪れる今で言えばファミレスのような形態の飲食店が存在していなかった。
現在でも各家庭で子どもの活動にはさまざまな制約があるのだろうが、半世紀以上前はそんな訳で、私の場合、夜更かししたり夜間に外出したりすることは滅多になかった。
その例外は1年を通しておよそ2回限り。大晦日と夏祭り。毎年、年越し蕎麦を食べながら、眠気を堪(こら)えてテレビで除夜の鐘を聞いたこと。また、小遣いを握りしめながら盆踊りに参加して、屋台で品定めをしたことなどが懐かしく思い出される。
そんな一生記憶に残る心楽しいイベントを開催することが、3年もの間極めて困難だったのだ。今年、市内の多くの地域で4年振りに復活した夏祭りに参加させて頂きながら、改めてこのような憩いの場の必要性を痛感している。コロナ以前より人出が多いようにも感じられる中で、世代を問わず弾けるような笑顔に接することが大変嬉しかった。全員がこの瞬間を渇望しておられたことが明らかに感じられた。
各イベントを主催された皆さん。復活させるには相当のご苦労があったことと存じます。本当に有難うございました。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年8月5日号掲載)

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第424号 マドモアゼル・セスネイ

野見山暁治画伯が逝去された。享年102歳。東京芸術大学名誉教授にして文化勲章を受章された洋画界の大家。亡くなられた直後からマスメディアが一斉に斯界の権威の功績を報じ、その死を悼んだ。
私は美術に関しては門外漢であり、恐縮ながら野見山氏の美術界における輝かしい業績を詳らかにしない。しかし、文筆家(註)として発せられた珠玉のメッセージには感動を覚えた一人だ。
もう45年ほど前のことになる。当時購読していた文芸誌に氏が執筆された、私にとって生涯忘れ得ぬ衝撃のエッセイ「マドモアゼル・セスネイ」。
まだ外貨事情の極めて厳しい1950年代前半に苦労して果たされたパリ留学。生活苦に耐えながら必死に西洋美術を学ぶ彼のもとに、遅れてやっと辿り着いた愛妻陽子さん。待ち侘びた再会の大きな感激とその僅か1年後の陽子さんの夭折という絶望的な悲劇(享年29歳)。もう生涯独りだと慟哭する氏を「おまえはまだ生きているではないか」と叱咤し懸命に支えた彼の仏語の老家庭教師セスネイ嬢。
パリの比類なき華やかさは万人を魅了する。それゆえに、ひとたびその中で孤独感に苛まれたとき、ひとは果てしなく深い闇にどこまでも落ち込んでいく。この上ない残酷な運命に見舞われた異国の青年を慈愛で包み込む気丈な老嬢の気高い献身。
読後の余韻の中で、清らかな人間愛の尊さを強く認識するとともに、このエッセイを通じて、ときに人生観にも影響を与えかねないほどの言葉の持つ力を痛感させられた。これからも故人の著作を傍らに置き続けたい。

調布市長 長友 貴樹

(註)野見山氏は、1978年に「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞されたほどの名文家としても名高い。パリでの陽子夫人との暮らしおよび夫人の闘病を綴った著作としては、「愛と死はパリの果てに」や「パリ・キュリィ病院」がある。

(市報ちょうふ 令和5年7月20日号掲載)

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第423号 どうかくれぐれも油断なく

5月に新型コロナウイルスに対する感染症法上の位置づけが変更されて2カ月近くが経過する中で、少しずつ生活上の変化が見られるように感じる。
そのような状況下、行政からの情報発信について、コロナ以外の事項に関する注意喚起にも力点を置いていかねばと改めて思っている。
それは、たとえば喫煙マナー対策であり、受動喫煙防止条例を制定して4年が経つ。この条例は特に被害を受けやすい子どもたちを守ることに主眼をおいている。今後も喫煙者に最大限の配慮を求めたい。
今ひとつは、いまだに被害が発生し続けているオレオレ詐欺等の特殊詐欺問題だ。調布警察署管内の発生件数は、都内102署の中でも上位に位置している(註)。市もこれまで種々の防止対策に取り組んできたが、従来の施策に加えて、今年度からは新たに、金融機関のATM周辺に啓発要員を配置することとした。
この種の詐欺については、とかく人体に致命的な危害を与える類の犯罪と比較して凶悪度が低いように受け取られがちだが、はたしてそうだろうか。
千葉県成田市の寺院、長寿院の篠原鋭一ご住職が代表を務めるNPO法人、自殺防止ネットワーク『風』には、これまでに特殊詐欺の被害に遭い世をはかなんで命を絶とうとする方、もしくは自殺者のご遺族からの相談や連絡が数多く寄せられているという。さすれば、これはまさに殺人事件にも値する犯罪と言えよう。
皆様、どうかどうかお気をつけ下さい。

調布市長 長友貴樹

(註)発生件数が多いのは、調布警察署が所轄する調布、狛江両市の合計人口が30万人を超え、102署中、人口規模が上位2番目(令和5年1月1日現在)に位置することも一つの要因。

(市報ちょうふ 令和5年7月5日号掲載)

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第422号 はたして出藍の誉れか

土佐日記の紀貫之ではないが、人もすなるチャットGPT(註)にトライして、「入学式の挨拶」と入力してみた。するとGPTはしばし沈思黙考(?)した後、やおら文章を発し始めた。挨拶文の分量は話し言葉で3分程度。内容は、新入生に対する祝意、激励、期待など。なるほどこれはなかなか面白いものだ。だが、一応日本語として成立しているものの、情感に欠ける文章なので手を加える必要はあるが。
確かに、なにかの計画を立案する際に、その前提条件として膨大なデータの中から関連情報をピックアップして、計画の進むべき方向を定めるためのヒントを得るときなどにはこれは有用かもしれない。人間が自力で情報整理するより、はるかに時間が短縮できそうだ。
今後、このような手段を通じて得られた言葉が、そうとは気づかれずに世の中に氾濫していくことだろう。それはそれで、全面的に否定するつもりはない。情報の正確さや著作権等に留意しながら賢く使っていけばいい。
ただ、便利さゆえに今後の展開について訝しく思う点もある。たとえば、GPTは将来長編小説をも書けるようになると言われる。しかし、その表現内容は、ひとが自己の経験と感性のみに基づき、呻吟(しんぎん)しながら懸命に言葉を紡いでつくりあげる文章とは本来無縁のものであるはずだ。人間固有の創造力に挑む領域にまで、人間がつくったソフトウェアが入り込んでくる不気味さをどう理解すればよいのだろう。それとも我々はすでに、心の深奥に対する啓示をも、神ではなく機械から享受する段階に心ならずも迷い込んでしまったのだろうか。

調布市長 長友貴樹

(註)Generative Pre-trained Transformerの略。事前学習済みの文章生成変換器の意味。人工知能(AI)を使ったチャットサービス。人間の質問に対して人間が答えるかのように、自然に回答する技術が搭載されている。

(市報ちょうふ 令和5年6月20日号掲載)

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第421号 お待たせしました

5月21日の日曜日。第35回児童青少年フェスティバルと第34回調布親子まつりが一体となった「調布親子フェス」が昨年に続き開催された(註1)。この種の催しでは多摩地域最大級の規模を誇る。
趣向を凝らした多くの出し物や遊びのコーナーで丸一日楽しめる総合イベント(註2)だったが、会場となった調布駅前広場およびグリーンホールには、開始時刻の10時以前から多くの親子連れに詰て頂き、この日を心待ちにされていた様子がありありと窺えた。さもありなんと思われる。コロナ禍の渦中においてさまざまな制約を受け、心の底から無邪気に楽しめる機会があまりにも少なすぎた。
感染防止には今後とも細心の注意を払った上で、心和むイベントを可能な限り開催して頂きたい。各主催者にはご苦労をお掛けし心苦しいが。
そして、ここに謹んでご報告申し上げたい。3年間中止せざるを得なかった花火大会を9月24日に挙行することが先月24日の実行委員会において正式に決定された。その後、そのことをさまざまな会合でお知らせすると、一瞬会場がどよめく。拍手をされる方までおられる。それほど待望論が強かったのだなと改めて感じている。
好天に恵まれることを今から念じているが、それ以外の最大の問題点は諸経費高騰による予算の増大だ。4年前に比べて4割も膨らんでしまった。
当然、私自身も積極的にセールスに従事することになりますが、どうか企業、団体、個人による協賛金および有料観覧席の購入などについて皆様のご協力をお願いいたします。

調布市長 長友貴樹

(註1)令和2、3年度は中止。「親子フェス」の名称採用は今回から。 (註2)児童青少年フェスティバルでは、ベーゴマ、けん玉の伝承遊び、体を動かすジャンジャンコーナー、工作などを実施。調布親子まつりでは、和太鼓演奏、手話うたやキッズダンス、新体操、合唱が披露されたほか子どもの意見を取り入れた各種ゲームが実施された。加えて、野外ステージではダンスやパフォーマンスが行われた。

(市報ちょうふ 令和5年6月5日号掲載)

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第420号 一刻も早い立ち直りを

今は亡き父が晩年に病を患い、外科手術を受けることになった。40年近く前のことだ。
生命の危険も伴う状況で家族の間にも緊張感が走ったが、幸い手術は無事に終わり、経過を観ることとなった。その折に、術後の見舞いに来られた父の友人の方が、頷きながら真情を吐露された。「愁眉(しゅうび)を開いたな」。まだ一抹の不安が残る中、それを耳にした瞬間に心から安堵したことを記憶している。
爾来(じらい)私は、何らかの大きな困難に直面した際に、幸いにも事態の好転が確実になったとき、思わずこの言葉を独り言で呟くようになった。
社会に出て以降、何千人という方のさまざまな人生に接してきた。誰しも、長い一生を通じて常に順風満帆というわけにはいかない。また、精励を継続していても不可抗力というか、自己の力ではどうにもならない不運な事態に遭遇することもある。予期せず歯車が狂ったとき、全く動じないでいられる人は少ない。そして、ひとたび自信を喪失すれば、従来たやすくこなせていたことも思うに任せなくなる。本当に難しいものだ。
さらに近年特に心配なのは、20代、30代の若い世代において、精神的に悩む人が以前より増加していることだ。理由は定かでないが、どの職場でも事情は同じらしい。社会経験に乏しく戸惑う中で、自分を見失うこともありがちだとは思うが。
あらゆる手立てを尽くして、立ち直りを支援していきたい。たとえ一旦行き詰っても、なんとか一刻も早く愁眉を開いてもらいたいと切に願っている。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年5月20日号掲載)

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第419号 耐え忍んだあとは

市内公立中学校の卒業式と入学式に参列した。コロナ禍のため、4年振りの出席となる。期待と不安が交錯する生徒たちの表情は、一見コロナ以前と何ら変わらぬようにも感じられた。しかし、この3年間の困難な経験を通して、実際はどのような心境だろう。これからの新生活こそは順調であるようにと強く願わずにはいられない。
卒業生にとっては、貴重な中学校生活全体が、新入生にとっても小学校の後半3年間がコロナの蔓延期と重なってしまった。この間、全国民がさまざまな生活上の制約を強いられたわけだが、とりわけ成長期の生徒、児童にとって、学業やクラブ活動を始め生活全般に大きな影響が生じたことは誠に気の毒だった。楽しみにしていた各種行事が中止になったばかりか、時には単なる友だちとの有意義な時間の共有すらままならなかった。そんな状況下での彼らの心情は察するに余りある。思わず「よく頑張ったね。我慢したね」と声をかけてあげたくなる。
5月8日に、政府はコロナの感染法上の分類を季節性インフルエンザと同じ5類に変更する予定だが、そのことが日常生活に及ぼす影響については慎重に推移を見守りたい。
一部には、今後また多少感染者数が増加するとの観測もあるようだが、感染予防にはこれまで通り最善の対策を講じた上で、3年間実施できなかった心楽しいイベントを可能な限り再開したいと考えている。その中で、長い間耐え忍んできた子どもたちの弾けるような笑顔に接することができれば幸いなのだが。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年4月20日号掲載)

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第418号 多摩で謳歌した青春

一日の仕事を終えようとする時間帯に携帯が鳴った。昨年まで多摩地域の報道を担当していた記者からの発信。「Yさんが亡くなられました」。Y氏は電話の主の大先輩で、ちょうど私が市長になった約20年前に多摩地域の担当記者だった。すでに東京本社において枢要なポストを経験された後、九州地域を統括する立場で福岡に駐在しておられた。ジョギング中の突然死とのこと。享年52歳。これからさらに大きな仕事をという年代で、さぞや無念だったろう。
私は、仕事で知遇を得た人達と、その後個人的に親交を継続させて頂くことがある。ジャーナリストの方とも同様だ。ただし、仕事の話はしない。楽しい交友関係を壊さないために。
Y氏とは数年に一度ぐらいの頻度でお会いしてきた。次回は彼が九州から上京する機会に、今回電話をくれた後輩記者とともに、是非三人で一献傾けようと約束していたのだが。
物腰の柔らかな大変誠実な方だった。好漢惜しむべし。人柄を偲べば、まさに天を仰いで長嘆息の思いだ。
あれは10年程前のことだっただろうか。二人で飲んでいるときに、少し目を潤ませながら不意に彼がこう言った。「私は、長友さんのことをあんなに悪く書いたのに」。予期せぬ言葉に戸惑いながら、「お互い仕事に懸命に向き合っていた、というだけのことだよね」と返した。そんなこともあった。
自分よりはるかに若い友人を見送る。多摩の地で過ごした高校時代の、極めて充実した青春の情景を慈しむように語ってくれた彼の面影が脳裏に浮かんできて、なんともやりきれない。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年4月5日号掲載)

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電話番号:042-481-7301・7302

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