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掲載開始日:2024年4月5日更新日:2024年5月20日
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令和6年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第439号から第442号)
コラム一覧
- 第442号 忍音とは?(令和6年5月20日号)
- 第441号 爽やかなあなたを(令和6年5月5日号)
- 第440号 ちぎれ雲、風に誘われ(令和6年4月20日号)
- 第439号 今後も相互協定をいかして(令和6年4月5日号)
第442号 忍音とは?
もう随分前のことになるが、ある時、無性に童謡が聴きたくなってビデオの童謡全集を買い求めた。里山や浜辺などの幼い時代への郷愁の念を心に呼び覚ますような情景を目にしながら、小学校時代に習い覚えた歌の数々を口ずさめば、わけもなく胸に熱い思いが(グラスを傾けるときなど特に)こみ上げてきた。
四季折々の数多い童謡の中で、人によって愛唱歌は異なり蘇る思い出も様々だろうが、たとえば今の季節、毎年のように私が自然に口ずさむのは、「夏は来ぬ」。「卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来鳴きて 忍音(しのびね)(註)もらす 夏は来ぬ」。
この歌も例外ではないが、唱歌の多くは明治・大正時代につくられ、歌詞は現代語とは文法が異なり、子どもには理解し難い単語も使用されている。だが、そのような要因を超えてなお、幼心の感性に素朴に何かを訴える力が叙情歌としての童謡にはあるのではないだろうか。
それだけに、時代が移り生活環境が変化したとしても、現代において歌詞の意味を理解しがたい、というだけの理由で特定の歌を排除しようとする動きに、安易に同調するわけにはいかない。たとえ「ふいごの風さえ息をもつがず」の「村の鍛冶屋」の存在を確認することが今では容易でないとしても。古い時代の日本ののどかさをなんとなく心に思い浮かべることができれば、それだけでその歌の存在価値があると私は思うのだが。
調布市長 長友貴樹
(註)ほととぎすの声をひそめるような鳴き声。
(市報ちょうふ 令和6年5月20日号掲載)
第441号 爽やかなあなたを
長嶋茂雄さんが現役野球選手だった頃、野球に関心のない人も長嶋さんを知っていた。また、巨人軍を好きでない方でも、長嶋さんが嫌いという人は極めて稀だったのではないだろうか。
人の好感度とは一体何だろう。十人十色、すべての人は独自の性格を有している。ただ各人の性格及び社会的振る舞いを総合した上で、最大公約数的に好ましい人物像のイメージが世の中に存在することは間違いない。
たとえばわが国では、誠実、明朗、謙虚、気配りなどに関する評価が、その主な構成要素となっているのではないだろうか。
ある人の自然体における行動や発言の中に、そのような要素を多くの人が感じ取ったとき、その方に対する社会的評価が高まり、にわかにその人物の一挙手一投足に大きな関心が集中するようになる。そして、人々は無意識にその人物にわが身を重ね合わせ、自分が好ましいと思う言動をその人が常にとるように期待してしまう。
ただ、その期待感は対象となる人物にとっては、ときに重荷となることだろう。加えて、何とも信じがたい今回の不幸な事件。
私は今、大谷選手にこう声をかけてあげたい。「全国の子供たちが、あなたからのグローブを受け取ってどれほど喜んだことでしょう。本当に有難うございました。私たちは、あなたがこれからも大好きな野球に没頭できるよう心から願っています。爽やかなあなたをいつまでも応援し続けますよ」。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年5月5日号掲載)
第440号 ちぎれ雲、風に誘われ
心地よい薫風の時季が到来しつつある。心を空っぽにして自然環境に癒される旅に出てみたい。青田波や木漏れ日を思い浮かべる、ただそれだけでにわかに気もそぞろになってしまう。
松尾芭蕉は奥の細道の序文で、「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」と記している。これは、「私もいつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われていくように、あてもなく旅をしたいという思いを止めることができず」という真情の吐露だ。私はその思いに深く共感する。と同時に、彼の切迫した心境に思いをいたす。
何となれば、芭蕉が奥の細道に出立したのは45歳の年だが、江戸時代の男性の平均寿命が52歳程度とされるので(註1)、現代に置き換えれば70代ぐらいになる。その歳で今とは比較にならぬほど不便かつ体力を消耗する紀行に挑むことは、大げさではなく「死出の旅」をも覚悟した行脚だったと言えよう(註2)。
私にはそんな大それた覚悟はない。だが、古希を過ぎた現在、自分にとって周遊に身を委ねることの意義が、いつしか新しい物事の発見ではなく、追憶を呼び覚ますことによる生き様の確認になっていることに気づく。
都会の雑踏を離れ無心に旅情に浸りながら過去を振り返るとき、残された人生において自分なりの結論を得るべきテーマが一つでも見出せれば、それだけでささやかな安堵を覚える。
調布市長 長友貴樹
(註1)江戸時代の平均寿命は、新生児、乳児の死亡者数を含めれば30代から40代になるが、10歳児の平均余命でみると男女とも50代前半とされる。
(註2)芭蕉は、奥の細道の旅を終えた5年後の元禄7(1694)年、伊賀上野、京都、奈良を経て赴いた大坂で没している。享年50歳。
(市報ちょうふ 令和6年4月20日号掲載)
第439号 今後も相互協定をいかして
先月上旬の昼頃、私の携帯が鳴った。発信元は藤井裕久富山市長。「調布市の職員派遣、誠に有難うございました。当方の職員から大変助かったと報告を受けております。また、避難された珠洲(すず)市の皆さんが、東京都調布市からの派遣と知って、『そんなに遠いところからわざわざ来て頂いて』と感激しておられました」との丁重なお礼だった。
調布市は、近隣の自治体と災害時の相互応援協定を締結している。ただ、大地震のような激甚災害時には、近接した自治体はおそらく同時に大きな被害を被る可能性が高いので互いに助け合うことができない。そこでわが市は、近隣市だけでなく遠距離の3市(註)とも相互協定を結び、非常時に備えている。
それに基づき、能登半島地震発生後すぐに富山市に救援を申し出たところ、先方から、「富山市の被害は比較的軽微だったが、壊滅的な被害を受けた石川県珠洲市の市民を百数十人、2次避難所として受け入れるので、協力頂ければ有難い」との依頼があった。そこで直ちに4次にわたり、保健師を含む市職員を派遣したものだ。急な決定だったが、職員もよく対応してくれた。
それにしても、元日の一家団欒の時間帯における突然の大災害。ご自分以外のすべてのご家族を亡くされた方もおられる。おかけする言葉もない。
今後も可能な支援を考えていきたい。
調布市長 長友貴樹
(註)災害時相互応援に関する協定。締結は、岐阜市および富山市が平成28年1月、岩手県遠野市が平成28年3月。
(市報ちょうふ 令和6年4月5日号掲載)