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掲載開始日:2024年4月5日更新日:2024年11月20日
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令和6年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第439号から第454号)
コラム一覧
- 第454号 〝の秋〟が(令和6年11月20日号)
- 第453号 遥かなる交流を越えて(令和6年11月5日号)
- 第452号 スランプをなんとか(令和6年10月20日号)
- 第451号 米国の今後に(令和6年10月5日号)
- 第450号 華やかな歓迎ロード(令和6年9月20日号)
- 第449号 最大級の賛辞を(令和6年9月5日号)
- 第448号 合わせ技一本(令和6年8月20日号)
- 第447号 今年も大輪の花を(令和6年8月5日号)
- 第446号 国情ははたして(令和6年7月20日号)
- 第445号 広く高い空に(令和6年7月5日号)
- 第444号 何としても備えを(令和6年6月20日号)
- 第443号 無邪気でいられたら(令和6年6月5日号)
- 第442号 忍音とは?(令和6年5月20日号)
- 第441号 爽やかなあなたを(令和6年5月5日号)
- 第440号 ちぎれ雲、風に誘われ(令和6年4月20日号)
- 第439号 今後も相互協定をいかして(令和6年4月5日号)
第454号 〝の秋〟が
11月7日、東京では木枯らし1号が吹いた。その期日自体は平年並みと言えるらしい。ただ、そのわずか半月ほど前の10月19日に、都内各地で1875年の統計開始以来最も遅い真夏日(最高気温30度以上)を記録したことを思い起こすと、今年はやはり異常気象に翻弄され、体調維持を含む日常の過ごし方について、通常の季節感とは異なる対応を余儀なくされたことを改めて感じる。
本来、四季が明確な日本において我々は季節ごとにさまざまな思いを抱き、当然それぞれの季節を楽しく有意義に過ごすことを望んでいる。その中でも秋の季節特性に基づく期待を込めた表現は他の季節より多いかもしれない。たとえば、「スポーツの秋」を始め、芸術、読書、食欲、実り、収穫、行楽など。
そのようなテーマのもとに秋の訪れを心待ちにしていた方々は、今年の果てしなく長引いた猛暑の中でどのような思いでおられたのだろうか。「待てど暮らせど来ぬ人を」の宵待草にたとえれば叱られるだろうが。
また、年4回の季節の移ろいの中でも、せつなくもの悲しい心情にとらわれるのは何と言っても夏から秋への移行期ではないだろうか。昨日までのあの喧騒がまるで幻だったような誰もいない海。そんな物思いにふけり、それもまた人生の味わいと感じる暇が今年はなかったとしたら、なにか生涯の中で1年損をしたような思いがしてしまう。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年11月20日号掲載)
第453号 遥かなる交流を越えて
以前、ある地方に仕事で赴いて地元の方と名刺交換した際、「東京都調布市からまいりました」と申し上げたところ、「調布、ああよく知ってます」と言われ嬉しく思っていると、続けて、「日曜日によく見てますよ。私も競馬が好きでねえ」と仰ったので咄嗟には言葉が返せなかった。そうか、府中と調布、東京以外の人からはほぼ同様の感覚で見られているのかと思った次第。
府中の地名は、武蔵国の国府が8世紀に同地に設置されたことに由来している。かたや調布の名前は7世紀の大化の改新以降の律令制度のもとで定められた徴税制度の租庸調の調に基づく。したがって、それぞれの地名を意識した人々の交流は両市の市制施行遥か以前から継続されており、現在、縁戚関係を有する両市市民はかなりの数に及んでいることだろう。
それならばいっそのこと、今後いつか一つのまちになれないだろうか。現在の首都圏では、一番効率のいい市政経営が展開できる人口規模は50万人程度とされるが、なんと現在、府中市26万人、調布市24万人。加えて、両市とも国からの財源補填を必要としない良好な財政状況だ。もし合併すれば多少老朽化した施設を廃止してもなお50万人市民が十分な公共サービスを受けることが可能だろうし、将来にわたり余分な施設をつくる必要が少なくなるなどのメリットも期待できそうだ。新市の名称は、たとえば武蔵市府中区と調布区。
おっと、初夢を見るのがちと早すぎた。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年11月5日号掲載)
第452号 スランプをなんとか
先日、以前の職場の同期が一人他界した。昭和51年以来かれこれ50年近い交遊関係を結んできたわけで本当に寂しいものだ。同期25人中男性は10人だが彼が初の物故者になる。優れた人物で、自己主張を強引に押し通すタイプでは全くなかったが、彼が自然体で発する思慮に裏打ちされた見解は常に傾聴に値した。
それにしても、彼と共有した約半世紀の思い出を辿るとき、その間にわが身を取り巻く環境の中で発生した事象が極めて多岐にわたることを今更ながらに痛感する。そして、全事象の内容は当然喜怒哀楽さまざまだが、なぜか順調に推移した時代より不遇をかこつ思いが募った頃のできごとが総じて深く心に刻まれているような気がする。
啄木は意のままにならぬ境遇を嘆き、もしくは劣等感に苛まれて詠んだ。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」。その思いは私なりに理解できる。社会生活において、誰しも与えられた命題を常にうまく消化できるものではない。そして仕事で行き詰まったときには往々にして組織の中での疎外感を覚えるものだ。それはときに思い過ごしにすぎないのかもしれないが、孤独の闇にひとたび陥れば自己の現状が落魄(はく)の身に思えてしまうことすらある。たとえ短期間でもその思いはつらい。
わが職場でも常に職員の心情が気になっている。スランプを解消するために野球選手はひたすらバットを振り続けるといわれるが、みなさんはどのような苦境脱出法をお持ちだろうか。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年10月20日号掲載)
第451号 米国の今後に
第2次大戦後に、連合国が日本を分割統治する計画があったという。もしそれが実行に移されていたら、東側陣営に属することになった日本人は間違いなく言論の自由を奪われてしまっただろう。その甚大な基本的人権の侵害を想像するだけで身の毛がよだつ。そう考えるとき、米国を中心とする西側の一員でよかったと思わざるを得ない。
ただ、その自由と民主主義の盟主たる米国が近年少しおかしくはないだろうか。今年の大統領選挙においても、政策論争ではなく相手を口汚く罵る品性のかけらも感じられない声高な自己主張がまかり通っている。米国民は、一体これをどのように捉えているのだろうか。
ケネディとニクソンが争った大統領選挙は1960年。両者が完全無欠の候補者だったとは言わないが、世界のリーダーたらんと聴衆にはつらつと訴える40代の論客同士の魅力的な舌戦を懐かしく思い起こす。
また前回2020年の大統領選挙時には、投票機不正の陰謀により当落が覆ったとの荒唐無稽な指摘もあった。まるで自国を民主主義が根付いていない途上国と見なすかのように。そして、まさかとは思うが、万が一その幼稚な不正が実際に行われていたとしたら。これはもう理解不能としか言いようがない。
今回の選挙後に米国が不毛な国家分断状態に陥らないことを願っている。そして、もし建設的な議論を可能にする最大の要因が常に国民全体の健全な意識だとするならば、米国の現状を他山の石とすべきだと思う。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年10月5日号掲載)
第450号 華やかな歓迎ロード
先日、23区内在住の友人に「調布の品川通りを車で走ったが、サルスベリが印象的で本当に素晴らしかった」と言われて大変嬉しく思った。
確かに、白とピンク、一部赤の美しい花びらが約5キロメートルにも及んで道の両側を延々と彩るさまは、あたかもつつじヶ丘駅と鶴川街道の周辺を東西ゲートとして、わが市を訪れる人々を温かく受け入れる「歓迎ロード」の趣がある。
この落葉高木は、樹皮が非常に滑らかで木登りが得意な猿でさえ滑り落ちるがゆえに和名でサルスベリと呼ばれ、漢名では百日に渡り鮮やかな花の色を保つことから百日紅(ひゃくじつこう)と名付けられている。また辞書によると、木の特徴通り猿滑りとの表記も存在するそうだ。
この花が市の花に指定されたのは半世紀前の昭和49年。応募総数532票の市民投票の結果155票を獲得したものだ。同時にハナミズキ(138票)とウメ(101票)も準市の花に選ばれている。とても良い選択をして頂いた。
ちなみに、市の木はクスノキ、市の鳥はメジロとなっており、サルスベリと併せてこれら調布市のシンボルは、市の建造物などにさりげなくあしらわれている。そのことにお気づきの際、親しみを感じて頂ければ幸いだ。
私も調布市民となって今年でちょうど30年。縁あって居を定めたこのまちに愛情を注ぎつつ、潤いを得ながらこれからも暮らし続けていく。来年以降も夏の先駆けが感じられる頃には満開のサルスベリを心待ちにしよう。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年9月20日号掲載)
第449号 最大級の賛辞を
人生において新たなことにチャレンジしたとき、多少でも他の人よりうまくできれば、それは誰にとっても心地よいことであるに違いない。学業、スポーツ・芸術活動を含めいかなる分野においても。
ただし、その活動を継続して得られた成果が周囲の高い評価を受け始めるころから、ときに息苦しさも感じるようになるのが世の常ではないだろうか。人間うまくいけば欲も出るが、多くの場合、難行苦行に耐えなければより高いステージに到達することはできない。そして、自分として限界まで頑張ったとしても、設定した最終目標をクリアすることなくリタイアを余儀なくされるケースが人生を通じて圧倒的に多いことは言うまでもない。たとえば、日本国内で最上位の成績を収めなければ国際競技への出場は叶わない。
まだ数日会期を残すが、メダリストのみならず、パリオリンピック、パラリンピックに出場した全アスリートの健闘に心からの拍手を送りたい。そして、この大舞台に臨むまでの長期間に及ぶ克己心の持続に、敬意をこめて最大級の賛辞を贈らせて頂きたい。結果の如何にかかわらず。
目標達成のためにあらゆることを犠牲にして努力を重ね、何としても応援してくれた周囲の期待に応えようと念願し奮闘するものの、武運つたなく涙を飲まざるを得ないこともある。そのことは誰もが理解している。
選手の皆さんの全力で戦う姿に感動し勇気を頂きました。本当に有難うございました。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年9月5日号掲載)
第448号 合わせ技一本
まさに肌を刺すような陽光を浴びて、多少めまいを覚えるような感覚に浸りながら、この暑さを自分自身でどう受け止めるべきかと考えている。
子どもの頃、夏休みの間は雨が降らない限り、来る日も来る日も朝から夕方まで丸一日炎天下で遊んでいた。それでも体の具合を悪くしたというような経験は皆無であり、過信ではないが、自分は暑さには強いのだとついこの間まで単純に思い込んでいた。しかし、最近はさすがに熱風の中に身を置くとき一気に疲労を覚えるようになった。古希を過ぎた現在、やはり残念ながら抵抗力が衰えてきたと言わざるを得ないのか。
ただ、昔と比べて暑さの程度が異なるとの見方があることも確かだ。そこで、自分が小学校時代を過ごした大阪の昭和30年代後半の夏の気温を調べてみた。結果は多少意外なことに、その時代の7月、8月の平均最高気温は毎年32度から33度程度で常に30度は超えていた。
総合的には、どう判断すればいいのだろう。確かに60年前も夏の最高気温は連日30度以上だった。しかし、わずかの差とはいえ、やはり35度以上になると身体の受けるダメージは相当違うのだろうか。
寄る年波と一段高い猛暑、柔道でいう合わせ技一本か。いずれにしても、思い起こす遠い昔の自分の姿がゆらゆらと陽炎のように消えていく。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年8月20日号掲載)
第447号 今年も大輪の花を
予想されていたとはいえ、連日の猛暑の中で、本当にさまざまな自衛手段を講じなければ体調を崩しかねない状況です。どうか、水分補給、涼しい環境下での休養・睡眠などご自愛下さい。どうでしょうか。来月後半、花火の時期あたりには暑さも和らいでいることを期待するのですが。
昨年の「調布花火」を思い起こします。コロナ禍による3年間の休止のため開催への期待感が極めて強い中、観光協会を中核とする実行委員会の皆様、そして警察署、消防署、消防団その他数えきれないほど多くの関係者の奮闘努力のおかげで大会を無事迎えることができました。そして、すべての関係者のご苦労が天に通じたのか、当日は快晴微風という絶好の気象条件に恵まれ、この上なく綺麗な大輪の花が夜空を埋め尽くしました。
私は、多くの方が、終了後の爽やかな余韻の中で、やはりわが市にとってこの花火大会が、単なる夏の風物詩にとどまらない市民の心を一つにする必要不可欠な催しであることを改めて痛感されたのではないかと思っています。
今年も9月21日(土曜日)に大きな感動を得るために、好天に恵まれることを心から祈念しています。そして皆様には、毎年増大する経費をまかなうために、協賛金への協力及び有料席の購入を切にお願いする次第です。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年8月5日号掲載)
第446号 国情ははたして
初めてフランスに住んだ20代後半の頃、同年代のフランス人に、フランス社会において家柄に基づく階層を意識するかと問うたことがある。回答は、「現代の日常生活ではあまり意識しないな。ただ、結婚するときには少し考える」だった。45年ほど前のことだ。
爾来私は、欧州各国においては、王政の継続にかかわらず、歴史的な階級意識が日本より多少色濃く残存しているとの印象を持ち続けてきた。そして今一つの断面。それは必ずしも貴族の系譜に連なるというような出自の問題ではなく、特定の高等教育ルートを経た人間が特権階級的に一国の政治・経済の中枢を独占するという強固な閉鎖性。とても日本などの比ではない。フランスにおけるエナルク(註1)や英国におけるオックスブリッジ(註2)などがその象徴的存在だ。
そして、学業において幼少時から極めて限られたエリート養成ルートを辿るためには、通常、家庭には高い経済力が求められると言われている。そのような社会の在り方については、是正が必要だとする一定の意見が常に存在したものの、国を挙げての抜本的改革案が提示されてきたわけではない。
しかし、最近の欧州情勢、特に今年の英仏両国における総選挙の結果を見るにつけ、これまで長年、国政を特権階級に委ねてきた一般国民が、改革を求める明確な意思を主張し始めたようにも思われる。今後の国情変容の可否を注視していきたい。
調布市長 長友貴樹
(註1)フランスのENA(国立行政学院)の卒業生の呼称。ENAは、大学の上位に位置するグランゼコール(高等教育機関)の一つであるエリート官僚養成校。大学院大学に相当する。近年閉鎖的なエリート主義に対する国民の反感が強まり、自身もエナルクであるマクロン大統領により廃校とされ、2022年に新機関に統合された。
(註2)オックスフォード大学とケンブリッジ大学の併称。政界、法曹界、経済界に占める卒業生の割合が高く、英国におけるエリートの代名詞。
(市報ちょうふ 令和6年7月20日号掲載)
第445号 広く高い空に
今年の関東地方の梅雨入りは、極めて遅かったが、私はこの時期、しっとりと露に濡れた紫陽花を眺めることがとても好きだ。そして、花の色のグラデーションに心なごみながら、その先にある空の青さと真っ白な入道雲とのコントラストが鮮やかな盛夏の訪れを心待ちにしている。
その雨期が終わり灼熱の太陽に舞台転換する瞬間は何とも劇的だ。そして、もくもくと発達する雲に何気なく見入るとき、一気にわが身が、えも言われぬ解放感に包まれる。
そういえば若いころたまに、四肢を思い切り伸ばして地面に仰向けに寝っ転がって空を見上げることがあった。そのとき無心に見上げ、「空は広いな。空は高いな」と、ひとりごちるとき、何か自然に心が癒されるように感じたものだ。あれはなぜだったのだろう。
人間誰しも、心の中にさまざまなわだかまりを抱えている。そして、ときに悩みが昂じると、不安感で押しつぶされそうにもなる。学業、仕事、恋愛。何事も常に順風満帆というわけにはいかない。
難題を瞬時に解決することは簡単でないし、困難に立ち向かうことを想像するだけで気が滅入ることも当然あると思う。たとえばそんなとき、心を空っぽにして大空や大海原を見つめてみてはどうだろう。そこに人知を超えた自然の包容力を感じとれば、少し気が楽になることもあり得ると思うのだが。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年7月5日号掲載)
第444号 何としても備えを
調布市のみならずどの自治体でも、毎年度の初めにはさまざまな団体の年次総会が開催され、前年度事業の総括や新年度の事業予定などについての審議が行われる。
その時期、私も多くの団体の総会もしくは総会後の懇親会に招かれ、組織構成員の方々と親しく意見交換させて頂く。私にとっては、それが各団体の活動を理解する上で、従来大変貴重な機会になっていたことは言うまでもない。
そのような場がコロナ禍によって3年程度失われたことは、単に残念と言うだけでなく、極めて不便なことであった。コロナ期間中、たとえ総会自体はオンラインで実施されたとしても、私が各団体の方と直接お会いすることはほとんどなかった。したがって今年、「ご無沙汰しました。いやー、おそらく4年ぶりでしょうか」などという会話をどれだけ多くの方と交わしたことだろうか。
コロナによる3年以上にも及ぶ社会的、経済的ダメージは甚大なものだった。そして、残念ながら同様な事態の再発を完全には否定できないと考えるとき、何としてでも今回学び取った教訓を今後の備えに生かさなければと強く認識している。そのためには、医療体制、市民生活防衛、市内産業支援など各分野における詳細な総括が極めて重要となる。
コロナに蹂躙されて大きな損害を被ったというだけで終わらせてたまるかと、まなじりを決している。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年6月20日号掲載)
第443号 無邪気でいられたら
私は、ほぼ毎日8時半頃に市役所に登庁する。そして、外出の予定がなければ一日中役所内で執務しているわけだが、ときに所用で下に降りることもあり、その際は、当然市役所前広場を通ることになる。
そんな時、たまたま近くの保育園の園児が散歩に来ていることがある。銘々が鬼ごっこのように駆けまわったり、季節の花を愛でたり、友達同士で笑い合ったり、その無邪気な振る舞いのなんとも可愛らしいこと。
自分の幼少期の記憶はかなりおぼろげだが、自然にわが子の幼いころをその情景に重ね合わせたりしてしまう。
邪心がないことを無邪気と言うなら、人間はいつからその邪心(よこしまなこころ)を持つようになるのだろう。
駆け回る彼らには、先行きの人生における大きな不安など無いに違いない。そして大人たちは、この幼児らがいつまでも幸せな日々を送ることを無意識に望みながら、彼らを微笑ましく見守っている。
今年も、犯罪、非行の防止および犯罪者の健全な社会復帰の手助け(更生保護)を目的とする社会を明るくする運動が全国で展開される。
無邪気な幼少期以降、誰もが紆余曲折を経て人生の歩を進めていくことになる。縁あって居住したまちの温かみにほっと癒される。そのまちでは、困っていることがないか、自然にみんながひと声かけ合う。いつまでもそんな調布であり続けたい。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年6月5日号掲載)
第442号 忍音とは?
もう随分前のことになるが、ある時、無性に童謡が聴きたくなってビデオの童謡全集を買い求めた。里山や浜辺などの幼い時代への郷愁の念を心に呼び覚ますような情景を目にしながら、小学校時代に習い覚えた歌の数々を口ずさめば、わけもなく胸に熱い思いが(グラスを傾けるときなど特に)こみ上げてきた。
四季折々の数多い童謡の中で、人によって愛唱歌は異なり蘇る思い出も様々だろうが、たとえば今の季節、毎年のように私が自然に口ずさむのは、「夏は来ぬ」。「卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来鳴きて 忍音(しのびね)(註)もらす 夏は来ぬ」。
この歌も例外ではないが、唱歌の多くは明治・大正時代につくられ、歌詞は現代語とは文法が異なり、子どもには理解し難い単語も使用されている。だが、そのような要因を超えてなお、幼心の感性に素朴に何かを訴える力が叙情歌としての童謡にはあるのではないだろうか。
それだけに、時代が移り生活環境が変化したとしても、現代において歌詞の意味を理解しがたい、というだけの理由で特定の歌を排除しようとする動きに、安易に同調するわけにはいかない。たとえ「ふいごの風さえ息をもつがず」の「村の鍛冶屋」の存在を確認することが今では容易でないとしても。古い時代の日本ののどかさをなんとなく心に思い浮かべることができれば、それだけでその歌の存在価値があると私は思うのだが。
調布市長 長友貴樹
(註)ほととぎすの声をひそめるような鳴き声。
(市報ちょうふ 令和6年5月20日号掲載)
第441号 爽やかなあなたを
長嶋茂雄さんが現役野球選手だった頃、野球に関心のない人も長嶋さんを知っていた。また、巨人軍を好きでない方でも、長嶋さんが嫌いという人は極めて稀だったのではないだろうか。
人の好感度とは一体何だろう。十人十色、すべての人は独自の性格を有している。ただ各人の性格及び社会的振る舞いを総合した上で、最大公約数的に好ましい人物像のイメージが世の中に存在することは間違いない。
たとえばわが国では、誠実、明朗、謙虚、気配りなどに関する評価が、その主な構成要素となっているのではないだろうか。
ある人の自然体における行動や発言の中に、そのような要素を多くの人が感じ取ったとき、その方に対する社会的評価が高まり、にわかにその人物の一挙手一投足に大きな関心が集中するようになる。そして、人々は無意識にその人物にわが身を重ね合わせ、自分が好ましいと思う言動をその人が常にとるように期待してしまう。
ただ、その期待感は対象となる人物にとっては、ときに重荷となることだろう。加えて、何とも信じがたい今回の不幸な事件。
私は今、大谷選手にこう声をかけてあげたい。「全国の子供たちが、あなたからのグローブを受け取ってどれほど喜んだことでしょう。本当に有難うございました。私たちは、あなたがこれからも大好きな野球に没頭できるよう心から願っています。爽やかなあなたをいつまでも応援し続けますよ」。
調布市長 長友貴樹
(市報ちょうふ 令和6年5月5日号掲載)
第440号 ちぎれ雲、風に誘われ
心地よい薫風の時季が到来しつつある。心を空っぽにして自然環境に癒される旅に出てみたい。青田波や木漏れ日を思い浮かべる、ただそれだけでにわかに気もそぞろになってしまう。
松尾芭蕉は奥の細道の序文で、「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」と記している。これは、「私もいつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われていくように、あてもなく旅をしたいという思いを止めることができず」という真情の吐露だ。私はその思いに深く共感する。と同時に、彼の切迫した心境に思いをいたす。
何となれば、芭蕉が奥の細道に出立したのは45歳の年だが、江戸時代の男性の平均寿命が52歳程度とされるので(註1)、現代に置き換えれば70代ぐらいになる。その歳で今とは比較にならぬほど不便かつ体力を消耗する紀行に挑むことは、大げさではなく「死出の旅」をも覚悟した行脚だったと言えよう(註2)。
私にはそんな大それた覚悟はない。だが、古希を過ぎた現在、自分にとって周遊に身を委ねることの意義が、いつしか新しい物事の発見ではなく、追憶を呼び覚ますことによる生き様の確認になっていることに気づく。
都会の雑踏を離れ無心に旅情に浸りながら過去を振り返るとき、残された人生において自分なりの結論を得るべきテーマが一つでも見出せれば、それだけでささやかな安堵を覚える。
調布市長 長友貴樹
(註1)江戸時代の平均寿命は、新生児、乳児の死亡者数を含めれば30代から40代になるが、10歳児の平均余命でみると男女とも50代前半とされる。
(註2)芭蕉は、奥の細道の旅を終えた5年後の元禄7(1694)年、伊賀上野、京都、奈良を経て赴いた大坂で没している。享年50歳。
(市報ちょうふ 令和6年4月20日号掲載)
第439号 今後も相互協定をいかして
先月上旬の昼頃、私の携帯が鳴った。発信元は藤井裕久富山市長。「調布市の職員派遣、誠に有難うございました。当方の職員から大変助かったと報告を受けております。また、避難された珠洲(すず)市の皆さんが、東京都調布市からの派遣と知って、『そんなに遠いところからわざわざ来て頂いて』と感激しておられました」との丁重なお礼だった。
調布市は、近隣の自治体と災害時の相互応援協定を締結している。ただ、大地震のような激甚災害時には、近接した自治体はおそらく同時に大きな被害を被る可能性が高いので互いに助け合うことができない。そこでわが市は、近隣市だけでなく遠距離の3市(註)とも相互協定を結び、非常時に備えている。
それに基づき、能登半島地震発生後すぐに富山市に救援を申し出たところ、先方から、「富山市の被害は比較的軽微だったが、壊滅的な被害を受けた石川県珠洲市の市民を百数十人、2次避難所として受け入れるので、協力頂ければ有難い」との依頼があった。そこで直ちに4次にわたり、保健師を含む市職員を派遣したものだ。急な決定だったが、職員もよく対応してくれた。
それにしても、元日の一家団欒の時間帯における突然の大災害。ご自分以外のすべてのご家族を亡くされた方もおられる。おかけする言葉もない。
今後も可能な支援を考えていきたい。
調布市長 長友貴樹
(註)災害時相互応援に関する協定。締結は、岐阜市および富山市が平成28年1月、岩手県遠野市が平成28年3月。
(市報ちょうふ 令和6年4月5日号掲載)