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掲載開始日:2022年3月9日更新日:2022年3月9日
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国史跡下布田遺跡出土の国の重要文化財「土製耳飾」
種別
国指定重要文化財
年代
縄文時代晩期(紀元前800年)
指定年月日
昭和54年(1979年)6月6日
国史跡下布田遺跡出土の国指定重要文化財「土製耳飾」とは
調布市布田6丁目に所在する下布田遺跡は、昭和38年(1963年)から昭和46年(1971年)にかけて、國學院大學久我山高校考古学部や旧都立武蔵野郷土館(現東京都江戸東京たてもの園)などにより、小規模な学術調査が9回実施され、縄文時代晩期の重要な遺跡として判明し、昭和62年(1987年)に国史跡に指定されました。
この小規模な学術調査では、石棒集積遺構等を検出するとともに、安行式(縄文時代晩期)土器を主とする多量の縄文土器のほか、土偶・土版・耳飾・土製勾玉等の土製品や石棒・石剣・石刀・石冠・独鈷石(どっこいし)等の石製品といった、祭祀・儀礼・墓制に関する遺物が出土し、南関東では数少ない縄文時代晩期の遺跡として知られるようになりました。
また、昭和43年(1968年)に旧武蔵野郷土館が行った学術調査で出土した耳飾が、昭和54年度(1979年)に国指定重要文化財に指定された「土製耳飾」です。
この耳飾は、紅バラの大輪のような丹塗りの滑車形をしており、実測直径9.3センチメートル、厚さ3.4センチメートルと大型で、非常に精緻な造りです。土台となる部分は、薄いドーナツ状の円板と短い筒状の部分からなり、表面には、透かし彫りによる環状または、渦巻き状の花弁を思わせる複雑で立体的な装飾が施されています。裏面は、装飾的要素は認められず、ヘラナデにより平滑に調整されるのみです。全体的に鮮やかな赤彩が施されています。群馬県桐生市千網谷戸(ちあみがいと)遺跡から出土した土製耳飾と法量・意匠・質感が酷似しており、千網谷戸遺跡で製作されたものが、下布田遺跡にもたらされたものと考えられます。
- 土製耳飾(表)
- 土製耳飾(裏)