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ページ番号:17061
掲載開始日:2026年4月20日更新日:2026年4月28日
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「ちょうふピース部」は令和8年1月10日から12日の3日間、沖縄を訪れ、資料館の見学やフィールドワークなどの様々な活動を通して、戦争の悲惨さと平和の尊さを学びました。
参加した部員8名が3日間の活動と全体を通しての感想をまとめました。是非市民の皆さんに見ていただき、沖縄であったことや平和について考えるキッカケになってほしいです。
レポートの文章は、ピース部員がそれぞれ作成したものです。

ここは陸軍病院として多くの女学生が看護に従事した場所で、生徒の大半は解散命令後に亡くなりました。
(注)詳細や部員の想いは近日公開予定。
平和祈念資料館は沖縄戦終焉の地である糸満市摩文仁にある平和祈念公園の中にあり、沖縄戦の写真や遺品を展示しています。展示されていた戦争体験者の証言文は読んだだけでも状況をすぐに想像できるほど細かく語られていて、驚きの連続でした。写真は鮮明なものが多く、思わず目を背けたくなるものもありましたが実際の状況をはっきりと知ることができました。

私が最も印象に残っているのは、壕の中で、負傷してうなされている人を他の人がうるさく、敵に見つかるからと言ってその人を壕の外に出してしまっていたという証言です。戦争による恐怖は自己防衛という名の他人への攻撃につながり、その矢は味方にも向けられることを強く実感しました。

大戦末期、日本軍は米軍の沖縄上陸を想定し、本土防衛の最後の砦として急遽沖縄に基地を建設することになりました。海軍小録飛行場(現那覇国際空港)の死守と米軍の行動を本土海軍本部に伝えることを目的に、「海軍小録飛行場に近い・高台・戦闘時に敵味方全体が掌握しやすい・通信に障害が無い」等を理由に海抜74メートルの丘陵地帯に基地を建設しました。
総延長約450メートルの海軍司令部壕は5ヶ月間昼夜問わず過酷な労働のもと、海軍設営隊兵士約3,000人によって手作業で造られました。

まず、この旧海軍司令部壕に入った時に明らかに雰囲気が変わったのが印象的です。壕の中はいくつかの区分けがされていて、ある場所では壁に沢山の弾痕がありました。そこは実際に幕僚が自決した場所です。
当時の壕の中はひどい衛生環境でした。換気ができないので蒸し暑く、匂いも悪く、空気がとても悪かったそうです。私は、壕の中を歩きながら当時の壕の中の苦しさを想像しました。きっと、私の想像では当時の現実を捉えることはできないでしょう。しかし、その様子を自分なりに鮮明に想像したからこそ、空気感として周囲よりも重く、暗い雰囲気が伝わってきたのだと思います。
旧海軍司令部壕は絶対に人生で一度は行って欲しい場所です。
沖縄戦の激戦地で、米軍に追いつめられ逃げ場をなくした県民は、この岬で命を落としました。沖縄本島の最南端ではないものの、「逃げ場のなくなった先の行き止まりの地形」であったとされています。現在は、当時の人々の心情に思いを馳せる場所となっています。

この岬からの眺めは、沖縄戦では米軍の艦隊で真っ黒になっていたと聞きました。私の目に映った眺めは、どこまでも青く美しい水平線が広がっています。強い風が頬に感じられます。しかし、当時の県民にとっては、この風は逃げ場を失わせるような、強く背を押す風だったのではないかと思いました。黒い艦隊や兵隊、爆撃が迫ってくるような時代を二度と繰り返さないことを、私たちは守り続けなければならないと強く感じました。

ミライバトン(外部リンク)から派遣された沖縄在学の大学生の方と、米軍基地に関するフィールドワークを行いました。基地問題について学び、沖縄の人々が抱える負担の大きさを改めて重く感じました。基地はとても広く、地域の中で大きな面積を占めていることに強い驚きを覚えました。騒音や事故の危険が身近にある生活はとても不安であり、安心して暮らせない現状があると思います。
さらに、基地の飛行機が日常的に生活のすぐそばを飛んでいることにも驚きました。様々な基地の問題に関して色々な県民の声があるのに、その意見が十分に反映されていない現状は、民主主義のあり方として課題があると感じました。過去の事故対応からも、主権や安全が本当に守られているのか疑問に思い、基地問題は沖縄だけでなく日本全体で真剣に考えるべき重要な課題だと思いました。
これからは自分自身も関心を持ち続け、理解を深めながらこの問題について考えていきたいです。

フィールドワークの後は、基地課題をテーマにディスカッションを行いました。基地があることで英語に触れる機会が増える・違う食文化が入ってくるというメリットがある一方で、沖縄に基地が集中している、騒音被害が多いというデメリットがあると知りました。基地が家の近くにある生活をしたことがないので、住んでいる人にしか分からないメリット・デメリットを沢山聞くことができました。

ディスカッションの着地点として「まずは率先して行動する、積極的に知ろうとする、違う人の気持ちになってみる」ことが大切だと意見がまとまりました。自分では思いつかなかった考えに気付くことができ、視野が広がったと思いました。

「対馬丸」は、太平洋戦争中の1944年沖縄から九州へ学童疎開する子どもたちなどを乗せて航行していた船で、航行中にアメリカの潜水艦によって撃沈されました。大勢の乗客が海に投げ出され、数えきれない命が失われ、生き延びた人々の中には暗い海の中で何日間も漂流しながら恐怖や不安と闘わなければならなかったことを知りました。当時の過酷さを想像して胸が苦しくなりました。

記念館は開放的な空間でしたが、児童の遺品や船内の模型、館内で流れている軍歌、展示や証言から静かな悲しみが伝わってきました。また、館内には当時の小学校の様子を伝える黒板や教科書、すごろくなどが展示されており、戦時下においても学び続けること、友人と遊ぶことを諦めないという気持ちが伝わってきました。
記念館の裏手に碑があります。人の名前がびっしりと刻まれた石碑には、確かにその人たちが懸命に生きた証がありました。それぞれの日常・友達・家族が戦争で消えてしまったことに、心が痛みました。対馬丸の出来事が誰にも忘れ去られることがないように、少しでもたくさんの人に伝えていきたいです。

沖縄派遣やピース部員への質問をまとめた「ピース・レターちょうふピース部特別版」は、市内公共施設で配架しています。また次のダウンロード文書でも閲覧可能です。