令和4年度 第4回調布市廃棄物減量及び再利用促進審議会 会議録 1 開催日時:令和4年10月31日(月)午後5時00分から6時30分まで 2 開催場所:文化会館たづくり1103学習室(Zoom使用開催) 3 委員出欠:出席14人,欠席1人 ・出席委員:江尻会長,山下副会長,阿部委員,横山委員、安塚委員,森下委員,村門委員,千草委員,杉崎委員,市川委員,亀田委員,増田委員,佐々木委員,田波委員 ・欠席委員:荒木委員 4 事務局:三ツ木ごみ対策課課長,雨宮,中島,東澤 5 傍聴者: 【議事次第】 1 開会 2 勉強会 3 報告事項 4 その他 配布資料 資料1 調布市のごみ・リサイクル これまでとこれから 資料2 ごみ・資源物の分別区分等の見直しについて(建議)※当日配布 資料3 一般廃棄物処理基本計画の改訂について(建議)※当日配布 資料4 さらなるごみの減量・資源化の推進について(建議)※当日配布 資料5 調布市一般廃棄物処理基本計画策定のスケジュールについて 資料6 調布市一般廃棄物処理基本計画の骨子案について 開会(17時00分) 1 開会 事務局(中島)  若干早いですけれども、出席の方がおそろいになりましたので、ただ今から令和4年度第4回第10期第2回調布市廃棄物減量及び再利用促進審議会議を開始します。今回はオンラインを併用した対面での開催とさせていただいています。どうぞよろしくお願いします。本日、C委員から欠席のご連絡を頂いています。  それでは、開会に当たり、江尻会長から一言お願いします。 江尻会長  皆さんこんにちは。きょうは勉強会ということですが、前回は自由参加でしたけれども、見学会などにご参加いただきました方、ありがとうございました。あとご案内いただいた方もありがとうございました。とてもいい時間が過ごせたのではないかと思っています。参加できなかった方もおいでになりますので、また時々その状況などお話ししながら、今期の審議会が進んでいければといいと思います。  それでは、本日出席者が過半数に達しており、調布市廃棄物の処理及び再利用の促進に関する条例第78条に基づいて、審議会を開催します。オンラインでの傍聴を可能としているため、傍聴希望者人数について事務局からお願いします。 事務局(中島)  今回、傍聴希望者はいません。 江尻会長  ありがとうございます。それでは、傍聴希望者なしということですので、このまま進めたいと思います。それではまず配布資料の確認からお願いします。 事務局(中島)  それでは、配布資料の確認をします。本日の資料については、資料1から資料6まであります。まず資料1「調布市のごみ・リサイクル これまでとこれから」、続く資料2から資料4につきましては事前配布しておらず、本日、当日配布のみとさせていただいています。オンラインでご参加の委員さまには後ほどご郵送させていただきますのでご了承ください。  では、資料2「ごみ・資源物の分別区分等の見直しについて(建議)」、資料3「一般廃棄物処理基本計画の改訂について(建議)」、資料4「さらなるごみの減量・資源化の推進について(建議)」、資料5「調布市一般廃棄物処理基本計画策定のスケジュールについて」、資料6「調布市一般廃棄物処理基本計画の骨子案について」、以上です。確認をお願いします。 2 勉強会 江尻会長  ありがとうございました。皆さま、大丈夫でしょうか。  それでは、早速、勉強会に移りたいと思います。まず事務局からきょうの勉強会について少しご説明を頂いて、実際に入りたいと思います。よろしくお願いします。 事務局(中島)  委員の皆さまにおかれましては、今年度8月に、第10期審議会委員として委嘱させていただいたところであり、今後、調布市の廃棄物行政について協議を進めていくに当たりまして、ごみの減量、リサイクルの推進に向けた知識を養っていただくことを目的とし、本日は勉強会を開催させていただく運びとしました。今回の勉強会のテーマや内容の設定につきましては、江尻会長とも協議を重ね、プラスチックごみ対策、食品ロス対策、粗大ごみの減量対策など、さまざまな案が出されました。  その中で、8月の改選で7人、約半数の新規委員をお迎えしたこと、また次年度以降の調布市の長期的な廃棄物施策を展開していただくためのマスタープランとなる、新たな一般廃棄物処理基本計画が動き出すことを踏まえ、皆さまには社会状況の変化とともに、調布市内の廃棄物行政のこれまでの沿革と、これからの課題についての知識醸成の場としていただきたく、本日は「調布市のごみリサイクル これまでとこれから」をテーマに基づく内容をご用意させていただきました。  焼却施設の更新、最終処分場の確保・延命、ごみ処理の一部有料化の導入、リサイクルの取組や、廃棄物処理と連動した地球環境問題、カーボンニュートラルに向けた対策・課題など、幅広い内容を社会経済状況や法律の変遷と合わせてお伝えし、今後の審議会での協議の際の一助としていただきたいと思います。また、併せて、過去の審議会で協議いただき、市の諮問に対して、第7期から第9期の審議会から「建議」という形でお答えいただいた資料を3部、本日の資料の資料2から資料4をご用意しております。内容については非常に多岐にわたるため、まずは本日の勉強会にて学んでいただき、大変恐縮ですが、後日ご一読いただきますようお願いします。  当勉強会については、全体でおおむね1時間を想定しており、説明を区切って質問時間を設けつつ、間に5分程度の休憩を挟んでまいります。またとない機会のため、皆さまからの活発なご意見を期待しています。  それでは、本日の講師のご紹介ですが、当審議会のコンサルタントも担っていただいています、循環資源・環境ビジョン研究所の鈴木さんより、ご説明いただきたいと思います。鈴木講師、お願いします。 コンサル(鈴木)  改めまして、鈴木と申します。廃棄物コンサルという商売そのものが最近はあまり聞かなくなっているというか、ごみ処理施設を造る、埋め立て地を造るなど、ああいう大規模な工事の時には必ず付くのですが、私はどちらかというと、もう少しソフトな、市民参加や減量・リサイクルをどう進めるかということを、34年くらいやっているところです。ちなみに、日野に住んでいますので、多摩地域の住民ということで、どうぞよろしくお願いします。  主な内容としまして、ここに書いてあるとおりですけれども、年代別にざっと歴史を見てみようと思います。特に20世紀のあたり、1980年代、1990年代には、この多摩地域で本当にいろいろなことがありました。そこでいろいろな出来事があったことで、かなり今につながっていることが非常に多いので、少しそこら辺を前半でお話ししたいと思っています。  それから、最近の話題というものがありますけれども、最近の話題は言い出すと切りがないので、かいつまんで調布市さんの課題を中心にお話しさせていただければと思っています。  まず入りで、初めに数字の話で恐縮ですけれども、ここで何を話したいかというと、調布市さんはごみの減量、要は1人1日当たりのごみ量がどのくらい少ないかということや、出たごみをどのくらいリサイクルにできているかということに関しては、全国的に見ても非常にトップクラスにあると言えると思います。  国のデータなので、1年遅れになってしまうのですけれども、令和2年度が国の最新データです。こちらを見ると、人口規模で区切ると10万人以上50万人未満という中堅の都市の中では、1人当たりのごみ排出量は全国14位です。それからリサイクル率といわれているものが35.7%です。このグラフは一番左が全国平均で、1人当たりのごみ量は結構多いですが、多摩地域になると少なくなり、調布市はさらにその平均よりも少ないです。リサイクル率は全国でもまだ2割なのです。  余談になってしまいますが、日本は分別収集が進んで、すごくリサイクルが進んだなどと言われていますけれども、世界的に見るとかなり遅れた状況にあり、お隣の韓国ですと5割くらい行っている、そのくらいの水準です。ということで、全国的にはもう少し頑張らなければいけないかと思いますけれども、多摩地域および調布市は非常に頑張っています。  では、それはどういう経緯があって、こんなに頑張っているのだろうかということをお話ししていきますが、その前にグラフを2つ見たいと思います。  これは、国の資料に載っていたトップテンリストです。いちいち言いませんけれども、10万規模未満、それから中堅の10万~50万、中核市や政令市が多いですが50万都市以上と、このように分けると、やはり町や村というところは非常にごみが少ないですし、リサイクル率も高いということが分かります。中堅どころの資料を見ると、リサイクル率では多摩地域がぼんぼん入っています。大規模な都市でも、八王子市が50万のところで全国3位、リサイクル率では全国2位にいるという感じです。  さらにもう少し、昔と今という観点でも見てみたいと思います。東京市町村自治調査会という公益財団法人がありまして、多摩の市町村が集まり、いろいろな調査研究をやったり、データをまとめたりしているところです。そこが毎年、多摩地域の26市と2町の自治体のごみの実態調査というものをデータとしてまとめています。それの一番古いデータは、手元にあったのが1999年、平成11年度のものだったので、取りあえずそれと比べているのですけれども、1人当たりのごみ量でいうと、調布市さんは真ん中から少し下くらいです。これは23年前の話です。  これはどういうことかというと、1人当たりのごみ量といいますと、実はその中には事業所のごみも入るのです。ですから、この一番下を見ていただきたいのですけれども、立川、武蔵野という辺りが、1人当たりのごみ量が非常に多くなっています。ご存じのとおり、両市とも繁華街やオフィス街がありますので、この2つがすごく大きいと思っています。  そう考えると、調布市さんはそこそこの都市規模で、仙川などもありますし、それなりににぎわっています。そういうことで中堅どころの少し下くらいだったのですが、最新の令和3年度のデータで見ると、少し順位を上げています。  今1位が、私が住んでいる日野市です。非常に少ないのですけれども、これは少しからくりがありまして、日野市はペットボトルの収集が月1回しかありません。「店に返せ」という運動をしていまして、ペットボトルの収集も月1回しかないので、その分ほかの市に比べると多分5グラムか10グラムくらいは低いのです。皆、店に返すという習慣になっています。そうすると、日野はあまり大きな事業所がないので少ないということはあるのですが、小金井や東大和と大体一緒くらいのレベルなのだけれども、ペットボトルやトレーなどを店に返している分、1位になっているという感じです。  それから、先ほどの武蔵野と立川は、令和3年度はどこに行っているでしょうか。武蔵野は下から4番目です。少し奥多摩に近い奥のほうは成績が悪くなっていて、武蔵野市はそれより上に行っています。でも、繁華街がある所にしては頑張っているように思いつつも、上のほうを見ると立川市はすごいです。あれほど都市開発が進んで、今、立川駅のほうが多分、吉祥寺よりも乗降客数などが多いらしいですけれども、それでも4位に来ています。これは事業系ごみの減量が進んでいるということを示しています。立川は、他の都市と比べてやり方が少し違うのです。そのようなことです。  こちらはリサイクル率です。調布市さんは、1999年には多摩地域で2位でした。1位は青梅市だったのですけれども、後でもお話ししますけれども、青梅市は、このデータを取った前年の1998年に、いわゆるごみの有料化を多摩地域で最初に導入しました。その効果がものすごく、リサイクル率が非常に上がったのですが、言ってみれば調布市は、ごみの有料化が導入される前の多摩地域では1番でした。  これは大体2000年ぐらいまではずっと本当に1番でした。私は日野に住んでいて、リサイクル率が非常に悪かったので肩身が狭かったのです。調布市などに行くと、小さな紙、いわゆる雑紙、あのようなものまで細かく集めています。そういうことを目の当たりにして、何てリサイクルが進んでいるのだろうと、こういうことを20年以上前から調布市さんは取り組んでいて、リサイクルは非常に進んでいました。現在は5位で、この有料化も進めましたし、いろいろな形でリサイクルに取り組んでいる市が多くなりましたので、抜きつ抜かれつという感じですけれども、こういう状態になっています。  前振りだけで随分長くなりましたけれども、本題に入りたいと思います。次のページが、昭和から平成まで、大体2000年くらいまで見てみましょうということです。これはスライドを見ていただくと分かりますが30枚近くありますので、大体15枚くらいまで行ったら、一回お休みを入れようかと思っています。  きょうは勉強会と言っていますが、要はごみ問題に関する捉え方や事実関係などを皆で共有しようという場ですので、「いや、こういうことがあったらどうなのか」「これはどうなのか」というようなご質問などがありましたら、私は話していますけれどもどんどん言ってしまってください。質問がありましたら遠慮なくおっしゃってください。それから、休憩前と、最後終わった後のご意見やご質問なども少しやりたいと思いますので、お願いしたいと思います。  ということで、8ページ目、1980年代までというところをまず行きたいと思います。  調布市の場合、ごみ処理というのは大体どこもそうだったのですが、広域でやるということが多かったのです。まだ人口も結構、多摩地域ではまばらだったということもありまして、施設を造るにしてもほかの市と共有したほうがいいだろうということで、最初にできたのが調布、府中、小金井で、二枚橋衛生組合というところができました。1957年です。ただ、最初は、ごみの焼却を開始したわけですけれども、非常に古いバッチ炉的なもので、写真を探したのですが残っていなくて、多分どこかを探せばあるのだろうと思うのですけれども、そういう形で始まったということです。  それから1960年、この時は私もまだ生まれていないですけれども、調布、三鷹でふじみ衛生組合が、最初はし尿処理をやっていました。今でもし尿というのは少し残っているのですけれども、今はほとんど公共下水道に変わっていますので、し尿処理施設のような大げさのものはなくなってきています。  1972年に二枚橋に焼却場ができました。これがいわゆる連続運転炉と言われている、24時間連続でずっと燃やせるものです。そういういわゆる近代的な焼却炉に生まれ変わった、最後にできたのが1972年ということだったのですが、これを調布と府中と小金井が最後21世紀までずっと引っ張るのです。少し前のページにも書いてありましたけれども、二枚橋衛生組合はいつしか日本最古の焼却炉と言われるようになります。  これの横を見ていただきますと、1970年に実は公害国会というものがありました。ヘドロがひどい、大気汚染がひどいなど、いろいろな公害をいっぺんに解決しなければということで、いろいろな環境関連の法律、それからごみに関しては廃棄物処理法というものができました。この廃棄物処理法は、幾つか改正なども途中やっているのですけれども、大体基本的な部分は変わらずに、今も50年以上この廃棄物処理法で来ています。  それから1970年代初期から、東京ごみ戦争というものがありました。これは23区であったのですけれども、その昔、江東区の埋め立て地、夢の島ですが、あそこに23区中のごみが来て埋め立てられていたわけです。けれども、江東区のほうでは「これはちょっといかがなものか」ということで、杉並などのごみを、区長さんが先頭に立ってピケを張って阻止するというような、本当に戦争時代でした。この頃は1970年代ですから、何とか安保などいろいろやっていた頃ですから、そういう抗争も盛んだったということです。  こういうこともありまして、ごみ処理というのは、特に焼却炉というのは自分の所で1つずつ持ったほうがいいだろうという、自区域内処理原則ということが言われるようにもなっています。これは別に法律にある言葉ではありませんけれども、やはり自分の所で出たごみは自分でやりましょうという話が出てきます。  下のほうの1980年代に入ると、調布で資源集団回収事業が開始されます。この頃はまだ古紙やびん・缶などは売れる時代でした。今でもきちんと集めれば売れるのですが、集めるまでが大変だというのが今の状況です。そういうことで、集団回収という形でやれば、かなり回るということです。それから、埋め立て地を造る広域処分組合というのも1980年に発足します。それから、ふじみ衛生組合をし尿処理だけではなく、可燃ごみ以外の不燃や粗大も処理するという形が、1980年に整ってきました。  1984年に日の出町の埋め立て処分場というものができたということで、それが地図に落とすと次のページのようになります。1980年代ごろの処理・処分地図ということで、適当に作ったので、少しずれているかもしれないのですけれども。  少し複雑です。まず可燃ごみは二枚橋焼却場というのが、皆さんご存じだと思いますけれども、二枚橋にあったわけです。ちょうど調布・府中・小金井市の3市の市境が集まっている所で、用地が3市にまたがっているのです。大体ごみ処理施設は市の端のほうにあるというのがよくある話で、本当は真ん中でもいいのですけれども、なかなかそうはいかない部分はあって、そうなっています。  そこで焼却したごみは、どうしても灰が出ますので、灰を日の出町にある広域処分場、当時は最初に谷戸沢処分場というところがありました。この次に二ツ塚処分場というように2カ所に持っていく。今はもうとうに谷戸沢処分場は終わってしまって、跡地は運動場にしようなどという話になっています。  それから、不燃や粗大などは、三鷹と調布の境、とはいえ三鷹市役所の裏のほうですけれども、今もあるふじみ衛生組合でやる。ここでもやはりいろいろ鉄などをリサイクルしても残渣(ざんさ)が出ますので、そこら辺は不燃残渣も日の出町に持っていくという形でやっていたということです。これでいつまでもいけるかというと、なかなかそうはいかないというところがありました。  少し施設ごとに変遷を振り返っておきたいと思います。まず埋め立て地のほうですけれども、調布市さんは、現在の基本計画でも埋め立て処分量ゼロということを掲げて、それでこれは維持していきたいと言っています。どういうことかというと、やはり日の出町の処分場を造る時に、ものすごく大変だったのです。  経緯を言いますと、1978年になって協議会ができたとありますけれども、1980年ごろから日の出町に造れないかということで、広域的な協議が大体まとまりまして、組合ができたという感じです。この時には、当時は東京都には清掃局がありまして、実は23区のごみというのは、今は各区でやっていますけれども、20世紀までは23区は東京都が自らごみの収集から全部やっていました。  ということで、ごみ問題にもかなり熱心で、ごみ戦争のあたりで東京湾の埋め立て地も非常に苦労したというのがあります。多摩地域もそれまでは、そこら辺の少し谷になった所にボコボコと掘って埋めるというような感じで各市がやっていたのですが、きちんとした処分、環境に負荷を掛けないような処分を、しかも多摩地域全体で取り組まないといけないだろうという話が出て、東京都がかなり引っ張る形でこの処分組合ができました。  そして谷戸沢処分場が、その4年後にはもう埋め立てを開始するのです。この谷戸沢処分場も10年少しで埋まってしまうのです。次は二ツ塚処分場というのが、谷戸沢の近くにまた新しい処分場を造って埋め立てを始めるのですけれども、その過程で何しろ多摩中のごみ、特に焼却灰などが運び込まれるのです。焼却灰というのは当然燃えかすですけれども、その中にはどうしても取り切れなかった重金属や有害物質などが入っています。  これは1996年ごろの写真を見ても分からないのですけれども、埋め立てをガラガラとやっていますが、その一番下にはシートが張ってあって、そのシートに雨水を通じて水が流れると一番下の所で汚水処理施設があり、有害物質や重金属などをきちんと取り除いて処理しますというようになっていました。けれども、今はもう埋め立て跡地ですけれども、これだけ大きな処分場で、これだけ広いのです。  どこかシートが破れて漏れてはいないかという話もありまして、そういう観点から住民の皆さんを中心に、あと役所や、そういう自然保護をしなさいという市民の方々から、かなりの反対運動がこの谷戸沢の開始から二ツ塚ができるまでの間でありました。そして裁判もありました。差し止め請求や、立ち木トラストなど、いろいろな形でありました。裁判の規模としても原告団が確か100人以上いて、当時の記録として、処分場の裁判としては全国最大規模でした。今でも多分そうだと思います。  二ツ塚処分場を造る時は、行政が代執行という形で強制収用、無理やり土地を収用してしまうとこともやっていたのですけれども、これもごみの処分場では初めてでした。という感じで、なり大変でした。ということで、行政にも、それから当時の反対していた住民の方々にもいろいろ言い分があるのでしょうが、かなり大変だった時期がありました。  そういうこともありまして、二ツ塚処分場の次はないだろうと。そうしたら二ツ塚処分場は何しろ引き延ばさなければいけないということで、ではどうすればいいかというと、埋め立てをなくそうということになりました。特に多いのは灰ですから、この灰をセメント化できるというのが、当時からもう技術的にはあるだろうということがありましたので、太平洋セメントという会社と組んでエコセメント施設を入れようということで、2000年くらいから取組が始まってきたという感じです。  当然のことながら、今も稼働しているという話になるのですけれども、これが埋め立て地の今のデザインです。ですから、今はもうほとんど、ごみの埋め立てというのは行われていません。ご覧になっていますよね。  次のページです。施設見学に行かれた方はご存じだと思いますけれども、ごみの最終処分場だったはずの所が、これがまたいわゆるごみの中間処理としてエコセメント化施設というものができていて、灰をセメントとしてリサイクルしています。それで埋め立て地ゼロというのを維持しているということです。  では、次に行きます。 D委員  すみません、いいですか。 コンサル(鈴木)  どうぞ。 D委員  現状の二ツ塚の満杯時に対しての、どのくらいまで今、何パーセントぐらいまでが埋め立てされている現状なのでしょうか。 コンサル(鈴木)  多分半分も行っていないと思います。二ツ塚は1996年あたりから稼働していて、持って20~30年などと言われていたのですけれども、後でも言いますけれども、途中から組合側でも各市町村に搬入割り当てをかなり厳しくして、減らしていたのです。それで少し延命化しようとしました。それからさらに10年くらいたったら、エコセメント施設というものができて、埋め立てそのものがなくなったので、まだかなり空いていると思います。きちんとしたデータをあとで調べてみます。 D委員  ありがとうございます。 事務局(雨宮)  恐らく45%弱くらいだったと思います。 コンサル(鈴木)  そのくらいですか。45%弱だそうです。 D委員  ありがとうございます。 コンサル(鈴木)  半分は行っていなかったですね。大丈夫ですか。 D委員  はい。 コンサル(鈴木)  では、次ですけれども、今度は、二枚橋焼却場を巡る動きということで、別に日の出が遠いからどうでもいいという話ではないのですけれども、今度はかなり身近な話になります。  当然、今の焼却炉というのはもう最新式ですけれども、当時では連続炉としては、先ほど言いましたように、二枚橋焼却場というのは1972年の3号炉・4号炉が連続焼却炉としてできてずっと稼働していました。ですが、1980年代に入ってくると、もう建て替えしなければという話になります。大体20年くらいしたら、焼却炉は建て替えを検討するのです。結構、中も古くなりますし技術も遅れ気味になってしまいますので。  ですが、なかなか建て替え用地が決まらない、見つからない。そういうことがありまして、いろいろ各市の中でもあったのですけれども、それぞれ手を打ったりする市も出てきました。府中市さんは1993年に多摩川衛生組合という、多摩川沿いの、ゴルフ場の下あたりに大きな処理施設が建っているのですけれども、そこに狛江や稲城などと一緒に加入しました。ただ、そこも容量に限度がありますので、府中のごみを全部焼却できるわけではなかったのですけれども、取りあえずは加入しておこうと。  それから、調布市は、不燃ごみは粗大ごみで三鷹市さんとずっとやっていたわけですから、では可燃ごみも一緒にやるのが合理的ではないかということがありまして、1999年くらいで覚書を交わしました。途中で建て替え計画が二枚橋はもう駄目だというのが2004年に決まったあたりでも、ずっと協議は続けていたのです。けれども、これは市民の方が入ってなのですけれども、ふじみ衛生組合の用地で焼却も始めようということで、新ごみ処理施設の稼働を決めました。それが2006年です。今から16年ぐらい前です。それほど昔ではないのです。  ということで、途中、小金井市さんが、どうしても自分の所の用地が見つからなくて、国分寺市に一緒にやりましょうと呼び掛けるなどいろいろやっていたのですけれども、そこもなかなか決まりませんでした。ともかく2007年までは引っ張っているのですけれども、1号炉は1968年からですから40~50年近くずっと稼働していた施設で、日本最古と言われた焼却炉もついに2007年に止まりました。  止まった時点で、3市はまだ絶対的な準備ができていませんでした。三鷹、調布は、ごみ処理施設を新しく造るというのがあったのですが、それは平成25年度で、もっと先です。止まってしまったのは平成19年度ですから、6年間は我慢しなければいけません。それから、府中も多摩川衛生組合に入っていたのですけれども、先ほど言いましたように、全部を処理できるわけではないので、ごみを半減しなければいけないということで、ごみ半減宣言のようなことを府中市は出していました。  これは府中市の当時の市報です。「焼却炉が閉鎖して大ピンチ」というような形で、これは調布市さんも同様で、ポスターを貼って「ごみ非常事態」だということでやっています。  当分の間は広域支援という形で、ほかの施設、いろいろな多摩地域のほかの施設や、場合によっては民間の施設も利用しながら広域処分というのをやっていたのですけれども、ふじみ衛生組合は、先ほど言いましたように平成25年に稼働して、三鷹・調布の体制ができました。  それから、小金井もずっと駄目だったのです。一つ候補地としては、蛇の目ミシン跡地がありました。武蔵小金井と東小金井の間の南側の所に、大きな蛇の目ミシンの工場がありました。そこが立ち退いたため、ものすごい土地が空いたので、そこでできるのではないかと思ったのですけれども、もう半分くらい民間に売られてマンションがボコボコと建っていました。向かい側にオーケーストアがもうできてしまっていて、ここにごみ処理施設を建てようとしたら、ものすごい反対運動がやはりその時も起きました。なかなか小金井もうまくいきませんでした。  最後どうなったかというと、国分寺と小金井で、日野に共同処理を申し入れるという形で、多分いろいろ裏があったのでしょうけれども、今は小金井と国分寺のごみは、多摩川を渡って日野クリーンセンターだった所に浅川清流組合を3市で造って、ついこの間2020年に新しい焼却炉が稼働したという状況になっています。  次に、写真で見ていただくと分かりやすいかと思って一応付けたのですけれども、二枚橋は分かりますよね。この白く枠で囲ってあるのが二枚橋の敷地です。実はこれは遠くのほうに温水プールがあるのです。要は焼却炉の熱を利用しています。当時はここに赤煙突が建っていました。左上の写真で、ここら辺が武蔵野公園で、もう少し左に行くと府中試験場という自動車免許の試験場があって、いつも私も免許更新の時は、この赤い煙突を目印にずっと走っていくのです。  これが、二枚橋が解散になって、それぞれ府中、小金井、調布の土地だったのですが、小金井は府中だった所を少し取得したのか、そういう形で調布はこちらの土地で調布市クリーンセンターという、主に資源物、びんや缶、古紙など、こういうものを選別する施設を造っています。小金井市も、ついこの間、8月にオープンしたのがこの右下で、不燃の積み替え施設を造っているという形で、かなりそのままにしたということです。  最後はふじみ衛生組合です。先ほど来言っていますように、最初はし尿処理で始まって、途中は不燃・粗大ごみ処理施設をやっています。この1980年代府中市さんは、隣の三鷹市もそうだったのですけれども、先ほど言った、埋め立て地を共同でやらなければいけないけれども、日の出町にどこまでも頼らなければいけません。こういう背景があって、やはりよそにごみの最終処分を頼むのであれば、自分の所でなるべくリサイクルをしなければいけないのではないかということが多分にあったと思うのですけれども、かなりいろいろなことをやっていました。  先ほど言った雑紙類も、名刺より大きな紙も全部リサイクルするということも、調布市さんはかなり初期段階から手を付けています。それから、何だかんだお金がかかるので続かなかったのですけれども、不燃や粗大を破砕して出てくるプラスチックなども燃料化できないかということで、民間業者に頼むなど、いろいろなことをやっていました。  そうこうしているうちに、リサイクルセンターの中央棟が、平成6年に完成します。もう30年近く前です。この左下の写真です。色はきれいに塗っていますけれども、建物は今でもこれを使っています。これも日本最古の不燃ごみ処理施設とは言いませんけれども、やはりかなり古いので、建て替えをすることが決まっています。そうこうするうちに、あとで2000年代の話もしますけれども、ペットボトルや容器包装プラスチックなども始まったので、そういうものも受け入れつつ、でも古い施設でやっているので、かなり選別が大変なのです。見学などでご覧になった方はご存じだと思いますけれども、そういう形でやっているということです。  ということで、リサイクルセンターのほうは令和9年度、ということは今から5年後、2027年の稼働を目指してリサイクルセンターを建て替えようということで、やっているという感じです。  という形で、歴史の話ばかりで本当にすみません。では最後に写真だけです。今昔ということで、これは右上で見ると分かりやすいです。三鷹市役所がここら辺にあります。そして、こちらに東八道路があります。その間にふじみ衛生組合がありました。この2009年当時の写真を見つけたので、それを付けているのですが、当時は焼却炉がなく、先ほど言った、リサイクルセンターと言われている、資源を選別したり、不燃ごみを選別したり、粗大ごみを破砕したりする施設がありました。  その当時、左のほうには旧調布クリーンセンターという所がありました。「クリーンセンター」と名前は格好いいのですが、拡大写真を見るとお分かりのとおり、こう言ってはあれですけれども、かなり掘っ立て小屋状態です。かなりオープンな形なのですが、扱っているのは缶や古紙など、そういう資源物中心だったので別に臭くはないですし、有害物質は出ないのですけれども、ここの土地で粗大ごみの仕分けや、資源にできる素材は全部していこうという取り決めをしました。今もやっていますけれども、あと古紙や缶の選別などもやって、どうしても破砕処理しないと駄目なものは、お隣のリサイクルセンターのほうでさらに機械で処理する感じでやっていました。  それが今どうなっているかというのが、下半分の写真です。私は実は行ったことがないのですけれども、旧クリーンセンターのところは、今はブランチ調布という商業施設になっています。それから、ふじみ衛生組合のほうは、焼却炉ができました。右側のリサイクルセンターというのは、外側はきれいに造っていますけれども、もうかなり古いので今度建て替えになるという状況だということです。  埋め立て地もそうですし、それから焼却炉もそうですし、こういうリサイクルするための施設でもそうですけれども、多摩地域全体で見ても、特に埋め立て地はもう何とかしないといけない状態があります。それから、焼却炉も建て替えまでにものすごい苦労をして、当時3市が関わる二枚橋衛生組合だったのですが、それぞれの過程でも、すごくいろいろな住民の皆さんと話し合いもありましたし、そういうことがあったということです。  こういう施設というのはやはり、ないとごみ処理ができないですけれども、これをうまく造っていくのは非常に大変なことです。でも逆に言うと、これをきっかけにごみ処理施設だけではなく、システムそのものを分別やごみの減量など、そういうことに関してもっと進めていこうという、いわゆる一つの動機付けになっている部分があるようには思います。  ということで、少し長くなってしまいましたが、一回休憩を入れたいと思います。今、何か聞きたいことはありますか。大丈夫ですか。 D委員  いいですか。 コンサル(鈴木)  はい。 D委員  すみません。最初に戻るのですけれども、うちはリサイクル率が全国9位ということで、1人1日当たりのごみ排出量の、このごみの定義というのは、どのごみを指しているのでしょうか。 コンサル(鈴木)  こちらは、いわゆる法律的にいうと一般廃棄物と言われているものなのですが、その中でも家庭系ごみと、それから事業系ごみ、これを合わせたものになります。事業系も、事業系一般廃棄物という形で、各市町村で処理している部分があります。そういうものは袋出しで出されてしまうと市町村でも重さが量れないのですが、民間の業者さんが集めて搬入しているものは、いわゆる持ち込みごみといって事業系ごみという形で別に量れます。そういう事業所のごみと、それから家庭のごみで、これはごみといっても資源物も全部入ります。家から出てくるのは全部廃棄物ですので、資源物も含めて全部です。 D委員  では、粗大ごみも入りますか。 コンサル(鈴木)  粗大ごみも入ります。びん、缶も入ります。古紙も入ります。 D委員  では、もうほとんどですね。それぞれの家庭から出るものと、プラス事業系ですね。 コンサル(鈴木)  そうです。ですから、家庭から出てくるもので、この数字として量れていないものというと、例えば店頭回収でトレーを返したものや、それから新聞販売店の回収のほうに新聞を出したものは、こういうものは量れません。そういうもの以外が大体入ってきているという感じになります。よろしいですか。 D委員  その次のページに「1人1日当たりの総ごみ排出量」とあります。この総ごみというのは、今こちらで言った定義とプラス集団回収が入ってくるということですか。 コンサル(鈴木)  集団回収も最初から入っています。 D委員  では、この総ごみというのと、こちらのごみとのイコールでいいのですね。 コンサル(鈴木)  一緒です。少し言い方があれですけれども、多摩地域の実態調査などでは総ごみという言い方をしているので、そのまま使ってしまいました。 D委員  ありがとうございます。 コンサル(鈴木)  では、少し休憩を入れましょうか。 事務局(中島)  では、5分程度休憩を取れればと思います。すみません、オンラインで参加されている方が、少しお声が聞きとりづらいというお声もあるようなので、もし発言される際には少し声を大きめでお願いできればと思います。どうぞよろしくお願いします。 <休憩> 江尻会長  では、50分になりましたので、オンラインの方もよろしいでしょうか。それでは後半、どうぞよろしくお願いします。 コンサル(鈴木)  では、もう少しだけお付き合いください。よろしくお願いします。今度は16ページからです。といっても、まだやっと1980年代をこれから超えていこうという感じです。  調布市さんの場合、1989年から1994年は、今まで集団回収を中心に資源リサイクルというのをやっていたのですが、古紙類やびん、缶、布なども全部行政でやろうと、いわゆる分別収集というものが始まりました。これの背後にあるのは、先ほども言いましたように、二ツ塚の処分場も非常に大変ですし、まだこの頃は二ツ塚にこれから切り替わろうというところです。それから、二枚橋焼却炉も、「もう古くなった」と言われながらも、全然建て替えが決まりませんでした。ですから、分別収集をして、もっとごみを減らしていこうとなりました。  これは全国的にも似たような状況でして、1980年代といいますか、沼津は1970年代の終わりくらいからですけれども、ごみ処理場がない、埋め立て地が逼迫(ひっぱく)していっぱいになってしまったなど、あちこちで非常事態宣言のようなことが起きました。こういうところで、いわゆる資源分別収集というのが、1980年代のあたりからぽつぽつと始まって、全国に拡大ということになりました。よく沼津方式や広島方式など言っていました。  ただ、この後1985年にプラザ合意という蔵相会議で、円高誘導するというのが決まりました。今とはちょうど逆です。この1985年のプラザ合意で、1ドル240円くらいだったのが、130円台くらいまで一気に円高になったのです。これはどうなるかというと、海外の資源は安く買えてしまって、国内のリサイクル資源のほうがお得ではなくなってしまいました。このあたりからどうなったかというと、ここにも書いてありますけれども、例えばちり紙交換がそれまでは街中に結構いたのですが、消えてしまいました。  一方で、コンビニが全国に広がりつつ、ペットボトル飲料が出て、いわゆる酒屋さんでびんを回収してジュースのびんや一升びんなど、そういうリサイクルというのがどんどんなくなっていきました。でも、それと市町村の分別収集が広がっていくのが同時期に起こって、資源の流れのかなり入れ替わりが起きたのが、この1980年代の特徴だったと思います。  そうこうしているうちに、先ほどの二ツ塚処分場に絡めまして、広域処分組合が割り当て量を毎年決めて、少しずつそれを厳しくしていって、それを超えたら追徴金を取るという制度を入れたりして、恥ずかしながら私の住んでいた日野市は、ごみが多過ぎて、一番ひどい時だと年1億円以上追徴金を取られていたそうです。  調布市さんなどは頑張ってクリアしていたのですが、そうこうしているうちに、後半には審議会ができたり、促進員の制度ができたりという形で、少しずつ市民参加などいろいろな形の制度も整っていきました。  それをバックアップするような法改正もありました。廃棄物処理法が1991年に全面改正になったのですが、ただここで分別収集というのが初めて法律に盛り込まれたのです。ほかの市町村はもうとうに始めていたのですけれども、国が後追いで法律の中で「分別収集」という言葉を後で認めたという、市町村の取組のほうが先行していたのです。等々いろいろな話題があるのですが、飛ばして、少し巻き気味で行きたいと思います。  では、次のページです。1990年代はどういう時代だったかというと、ともかく施設を確保しよう、確保しようと、確保さえすれば当分は息がつけると思ってはいたのですが、なかなかそれだけでごみ問題は終わらないというところが味わい深いところです。資源リサイクルをすればいいだろうと思っていたら、円高もあるのですけれども、市町村が一生懸命集めても、それを引き取るのができないというところが結構全国でありました。古紙は何とか回っていたのですけれども、特に缶やびんなどが回らないという事態が出て、これを何とかしてくれという話は、1990年代を通じて随分ありました。  東京都でもコンビニ・スーパーで回収して、自分たちの責任で回してくれというようなことを1990年代の頃は随分やっていましたけれども、結局それは全部スーパーの責任というのはできませんでした。そのバックグラウンドにあるのは、ヨーロッパ、ドイツなどで始まった制度でも有名だったのですけれども、拡大生産者責任というものです。要は、作って売っている人たちが、やはり一定の責任を持たないといけないのではないかという考え方が逆に広がったりしました。売ったら売りっぱなしでは駄目でしょうということです。それが1990年代の後半あたりのトピックだと思います。  ただ、そうこうするうちに、下のほうに、先ほどからずっと言っていますが、焼却施設、最終処分場に後がない状況というのは引き続き続いていました。ごみの減量を一層しなければいけないということです。  次のページに、拡大生産者責任とはという話がありますけれども、ここに書いてあるとおりですけれども、製品を作ったり売ったりする人が、ごみになった後のことも責任を持ってください。ただ、これは全部、例えば引き取って自分たちでリサイクルしたり、処理したりしてくださいというだけではなく、いろいろな責任の取り方があるのです。  こういう捨て方をしてください。例えば、昔は「空き缶はごみ箱へ」と書いてあったのですが、今は「空き缶はリサイクルへ」と書いてあります。ああいう情報を与えるというのも責任の一つですし、それから環境配慮設計をします。  例えば洗濯機などは、少し昔の洗濯機は省エネなどと言ってプラスチックでできた洗濯槽が主流だったのです。あれがブーンと回って脱水もできます。ただ、あのような洗濯槽をプラスチックで作ると、ほとんどリサイクルできなくなってしまうので、設計を変えて、きちんとスチールで作って、リサイクルしやすくしようとしました。こういう大きな製品というのは環境配慮設計というのはしやすいです。車などもそうですけれども、どんどんやってくださいというのをやりました。  そういうことを進めてくださいということなのですが、ドイツで1991年にすごく画期的なデュアルシステムというものが始まりました。デュアルというのは、要は市町村の収集と、企業・メーカーによる収集という2つのごみ収集システムというのをつくって、やっています。それはガラスびんやプラスチックの容器、金属容器など、いわゆる容器包装と言われているもので、これは中身を売ったら外側はすぐ要らなくなってしまいます。この外側というのは本来付けなくてもいいのだけれども、どうしても付けなければいけないものがあります。そういうものも含めて、回収やリサイクルは全部、作った民間施設がやってくさいというのがドイツの仕組みです。  容器包装というと、環境配慮設計はなかなか利きにくい。小さくて細かいものが多いので、それをやるくらいだったら、一番大変なのは集めることなので、そこをやってくれという形でやったのがドイツのほうになります。日本はこれを一部取り入れて、分別収集は市町村がやるけれども、そこから先のリサイクルは商工会議所を通じて全国の容器包装を作ったり売ったりしているところから少しずつお金を集めて、そのリサイクル費用を払うという仕組みが今、容器包装リサイクル法というのでできているというのが、こういうことです。  それからもう一つ重要な動きは、次のページの19ページです。多摩地域で、これまであまりお話ししていなかったのですが非常に大事なことがありまして、それは市民参加です。行政に対する市民参加というのは、別にごみ問題に限らず環境問題もそうですし、いろいろな問題で市民参加というのは大事です。参加基本条例のようなものを持っている市もありますけれども、ごみ問題でも地域の場合は、先ほど来ずっとお話ししておりました、ごみ処理施設建設を巡って、反対運動も含めいろいろな形で話し合いの場が持たれました。  それから、武蔵野市のように、これは有名な話なのですが、今は市役所の隣に焼却炉がありますが、あそこの場所に決めたのは、1980年代に、4つくらいの候補地を市のほうで絞ったのですけれども、その候補地を絞った上でどこにしましょうというのは全部オープンな市民委員会や市民参加の下で決めるという形を取りました。「武蔵野方式」と武蔵野市が言っていますけれども、その時やっていたのが土屋さんという市長さんです。  その人が後ほど、先ほど言っていた多摩の広域処分組合の組合長をやったりして、その後政界に行って、まだ衆議院を多分やっているのだと思いますけれども、今、議員さんをやっている人です。そういうキーマンがいたりして、ほかの東村山とかいろいろな施設でもやはり住民参加というのはあちこちで盛んになってきました。  それから、地球環境問題、1990年代に京都議定書があったりして、いわゆる環境問題からも入ってこられた方々がたくさんいます。また日野の話で恐縮ですけれども、日野では1995年に環境基本条例というのを住民が直接請求で制定して、それに基づいての環境基本計画というのも市民参加で、計画書の文言から全部自分たちで作っていくというようなことをやりました。2000年以降、日野がごみを有料化した際に、今度はごみ減量推進市民会議という形で、そのメンツが皆いまだに活動しているというような形もあります。  それから、先ほど言ったように、法律の後押しで1990年に改正したのが、ここに書かれているものです。  それから、もともと多摩地域というのは、地域的には昔、神奈川だったわけです。よく「多摩は一つなり」という言葉がありますけれども、1893年に東京都の多摩地域に移管されてやってきたわけです。1993年に「TAMAらいふ21」というイベントと言ったらいいのか、博覧会と言ったらいいのか、そういうものがあったのですが、その際に、やはり当時のトップだったごみ問題を対象に「とことん討論会」という、徹夜して話すという会がありました。  私はそれには参加しなかったのですけれども、そこら辺をきっかけとして、東京・多摩リサイクル市民連邦という、毎年とことん討論会というのを開いています。最近はオンラインでやったのですけれども、そういう活動も、江尻会長がとことん討論会の市民連邦の事務局長としても頑張っておられましたけれども、そういうような動きもあります。  という形で、結構分厚い、いろいろな市民の知恵というのが、ごみ行政に生かされています。そういうことが一番下に書いてあります。  ということで、あとは昨今の話も含めてなのですが、駆け込んでお話をしたいと思います。2000年から現在というあたりまでなのですけれども、では次のページに行っていただきます。  先ほど言いましたように、ごみ処理施設はできました。いろいろな分別収集は、びん・缶などは1990年代くらいにはもうやって、あとペットボトルなども始まりました。さらに今度はごみの有料化もしていこうということで、2004年からごみの有料化が始まりました。これは、先ほど言いましたけれども、青梅市さんが1998年に始めたのがかなりエポックメーキングというか、青梅市さんの場合はダストボックスというのを使っていまして、24時間いつでも出せるごみ箱というのが街角にあります。  そこで実はごみの量が大変なことになっていたのですが、それでもってガクンと減らしたというのがあって、同じようにダストボックスが日野市や清瀬市など、そういう所でも導入したりして、全体に広がっていきます。  それから、先ほど言ったいわゆる拡大生産者責任というのを法律化しようということで、容器包装リサイクル法というのが、完全施行されたのは、これは家レベルの話ですけれども2000年に入ってからです。あと、家電や自動車など、ここら辺も作ったメーカーさんがリサイクルにも責任を持ってくれという形で、拡大生産者責任の考え方となりました。家電製品で、テレビや冷蔵庫などはリサイクル券を付けないと引き取ってもらえない。あれです。結局お金は消費者が負担するのですけれども、そういう法律ができたというのは、この2000年や2001年くらいから施行された法律がそういう形になっています。  先ほども言いましたけれども、あとはエコセメントが始まったり、二枚橋が完全に止まったりしたので、容器包装リサイクル法もいろいろ見直しても市町村の費用負担が多過ぎるだろうなどと、いろいろな議論になりました。皆さん覚えていますか。2年前の7月にレジ袋がいきなり全国有料化になりました。実はその時の法改正は2006年の法改正で、レジ袋を大量に使う事業者──はっきり言ってスーパーなどです──に対しては、排出抑制のための措置を取ることができるという法律をすっと入れたのです。ですので、このような見直しもあったということです。  さらに次のページに行っていただきます。少し長いスパンで見てみましょうということで、グラフを出しました。調布市さんの場合は、ごみ量というのは昭和55年くらいからのグラフがずっとあるのですけれども、ごみの有料化でガクンと落ちて、資源物が増えてという効果が見て取れるかと思います。  これは、ほかの市などでは、さらにものすごい効果があったりします。次のページを見ていただきたいのですが、これは1人1日当たりの量です。導入前の年を100という形でそろえてやったのですけれども、日野市は100だったのが、10月から開始したので2段階で落ちていますけれども、結局、有料化を導入したら可燃と不燃の量が半分以下になりましたダストボックスはこんなにひどいありさまだったのです。これは半分になって当然かなと思いました。  あと、青梅市さんはこの青ですけれども、ガクンと落ちて少し増えています。だから、青梅市が最初導入した時は、リバウンドしたとよく言われていたのですけれども、別にリバウンドは必ずするものではなくて、青梅市さんもその後ごみを抑えています。羽村市は別に理由はないのですけれども、あまり落ちなかったところもあるという事例としてあります。ただ、リバウンドも少ししかけましたけれども、きちんとそれなりに減らしています。  前から取り組んでいたところは、2割くらい減れば大体成功と思うのですけれども、調布市さんの場合、この赤で見るように2割以上減らして、そこからさらにリバウンドを一切起こさずにずっと減らしているので、調布市の場合はかなり頑張ってやっているのではないかという形です。ごみの有料化というのが、これほど腰を入れて導入されている地域も全国的には珍しいです。23区は全然やろうとしないですから。「やれ、やれ」と言っているのですけれども、そのような状況です。  先ほど言いました容器包装や家電、自動車というのは、メーカーさんに、全部ではないですけれども、一定の責任を負わすのだという話なので、それの図を付けてみました。もし質問があったらおっしゃってください。話が進まないので、これは飛ばします。  最近の話です。ごみ問題が全部解決したわけではないのですけれども、それよりも周辺の問題がどんどん進んできています。埋め立て地がゼロになりました、それからふじみも新しい焼却炉ができました、リサイクル施設ももうこれでもうオーケーと思ったら、実はそうではありませんでした。最近では、やはり気候変動や、そもそもエネルギーを使ったりすることに対して、もっと何とかしなければという流れがあります。  2015年、国際的にはパリ協定というのが成立します。2050年までに実質カーボンニュートラルを達成しないと大変なことになるという話で、調布市さんもその流れの中で、やはりプラスチックに取り組みます。それからSDGsという、持続可能な発展の中ではエネルギーだけではなく食べ物など、食品ロスがものすごく、世界的にも問題になっていますので、これを半分にしなければいけないというのが国際的なゴールになっています。  そういう形も含めて、もっとやらなければいけないというか、やらないと、やはり次の世代に顔向けできないという状況です。国もプラスチック資源循環促進法というのがこの4月にできましたけれども、いわゆるコンビニなどに行くとプラスチックのストローが紙になっていたり、デリバリーを頼んだらスプーンが木のスプーンになっていたりします。この間すかいらーくグループのガストで頼んだら、木のスプーンでした。そのような形でやりなさいという法律ができたということです。  そこら辺の問題をひっくるめて少しまとめているのが、次の26ページ目です。大きな話にはなってしまうのですけれども、これをいかに身近に感じさせるかというのが大事な視点だと思います。このような国際的な取組、持続可能な開発目標を達成しよう、2050年ゼロカーボンを達成しようなど、そういうことが今求められています。  昨今の審議会ということで、これは資料の2、3、4あたりでも紹介していますけれども、審議会のほうではその時々のトピックで新クリーンセンターができるのに伴って、例えばプラスチックや粗大ごみなどの処理をどうしようかというあたりの見直しを行ったりしています。  それから、ごみ処理基本計画です。あとで、報告で新しい改訂についての報告があると思うのですけれども、2019年にやった時は、ちょうど2015年にできた基本計画の中間改訂ということで、目標値をチェックしたり、新しい施策を付け加えたり、修正したりという、いわゆる事前修正、事前改訂というのをやりました。この時は、審議会のほうで計画の改訂について審議を行ったわけです。  それから、先ほども言ったような、プラスチックや食品ロスなどの国際的な取組に加えて、調布市さんの場合でも、それに加えて例えば枝・草・葉や、それから新聞古紙など、もっとリサイクルしたり、減量したりということを進めることができるのではないかということでの建議を去年行っているということです。  こういうことも含めて、これから審議会でもいろいろご審議いただくことになるとは思います。これからの課題というのを簡単にまとめていますけれども、ここら辺につきましては、またいろいろ出てくると思います。  最後になりますけれども、一つ思うのは、ここまでたどり着くのに、例えばごみ処理施設の問題は地域の人は非常に大変ですし、建物が見えるわけです。埋め立て地は少し遠いですけれども、やはり自分たちの身近な問題として、結構ごみ問題というのを感じることができました。あと、ごみを有料化するというような話は、もっと減らさなければいけないというのも、これは自分のお財布の話ですから、非常に身近に感じることができるという意味では、これまでの取組の進み方は一つ一つ実感しながら進めてきたという点があるのではないかと思います。これからは、「地球環境問題が」「気候変動が」などと言っている時に、どのくらい皆さんに実感を持って参加いただくかというのがかなり課題になるのではないかというのが私の個人的な思いになります。  ということで、以上です。どうもご清聴ありがとうございます。 江尻会長  どうもありがとうございました。それでは、質問などはいいですか。 コンサル(鈴木)  一応ここでいいですか。 江尻会長  はい。 コンサル(鈴木)  何かございましたら。 江尻会長  会場というか、ここのお部屋においでの方と、それからリモートで参加されている方がいらっしゃると思いますが、リモートの方も遠慮なく、声を出していただいたほうが分かりやすいと思いますので、「質問です」ということで声を出していただければと思います。いかがでしょうか。 D委員  いいですか。 江尻会長  どうぞ。 D委員  調布市においては、一般ごみと事業系ごみのごみを合わせて、びん・缶やプラごみがあるのですけれども、種類別に全てのごみが減ってきているのですか。プラごみはテイクアウトなどが増えているので、私は増えているのかなとは思うのですが。 コンサル(鈴木)  これは、なかなか種類別の統計を採るのは難しいのですが、プラは減っていないと思います。組成分析の中でも、ごみの組成をやって調べても、プラというのは減っていないと思います。生ごみというのは実は結構減っていたのです。多分なのですが、やはり可燃ごみの中で生ごみは一番多かったのですけれども、それでも少子高齢化や、家であまり調理しなくなったりしたことで減っていたのですが、やはりここ1~2年のコロナで、おうちでご飯ということが多くなりましたので、多分増えるという感じがあると思います。 事務局(雨宮)  事務局からよろしいでしょうか。ごみの量なのですが、コロナ禍という特殊要因があって、令和2年度にかなり高い数値が出てしまった率でございます。一方で令和3年度、前年度実績なのですが、基本的に令和2年度からほとんどのごみや資源物においては減少傾向となっていましたが、1点、ペットボトルについては増加傾向となっていました。まだ令和4年度現在、現時点においてもペットボトルについては増加傾向であるということで、ほかのごみに比べてペットボトルの需要というのが家庭の中で高まっているのかという状況です。  まだ令和元年度までの水準にごみの量が落ちてきていないので、先ほどD委員のほうからあったプラスチックが相対的に増えているか減っているかというのは、もう少しお時間かかった段階でお伝えできるかと思いますので、よろしくお願いします。 D委員  分かりました。ありがとうございました。 江尻会長  ありがとうございます。ほかはいかがでしょうか。どうぞ。 G委員  先ほど聞き違いかと思ったのですけれども、23ページでごみ有料化のお話のあった時に、市町村のところはごみが有料化されているという話だったのですけれども、23区は有料化されていないのですか。 コンサル(鈴木)  粗大ごみは有料化しているのです。あれは現場持ち込みなのですが、可燃ごみ・不燃ごみ、あと資源もそうですけれども、一切有料化していません。 G委員  すごいびっくりしたのですけれども、本当ですか。 コンサル(鈴木)  本当です。今でも街角へ行くと、ここら辺では考えられないような地味なレジ袋なり何なりで、いまだに45リットル袋などでも出しています。 G委員  日本全国でいうと、有料化しているのは何パーセントくらいなのですか。 コンサル(鈴木)  もう半分以上にはなっていると思いますけれども、程度が結構違います。結構大きな袋でも1袋5円や10円くらいというところもあります。 G委員  でも、それは日本全国で有料化したら、普通に考えたらガクッと落ちますよね。 コンサル(鈴木)  おっしゃるとおりです。政令指定都市、仙台などでは結構やっています。多摩地域も頑張っています。でも23区や大阪市など、一番大きいところがあれです。 G委員  びっくりしました。 コンサル(鈴木)  そうなのです。今でも朝はすごいです。 江尻会長  23区でも一部の区では、例えば審議会の中で有料化すべきだというような答申を出したところもあるということは聞いているのですけれども、そこから先は進んでいないところもあります。現実の問題としては、今のところゼロです。 G委員  すごく乱暴な話ですけれども、公共広告機構のようなコマーシャルで「されていないところがあります」というようなコマーシャルを。市民運動が盛んになるのではないかと思います。 江尻会長  市区町村がやることですよね。そこはいろいろ、その地域それぞれの事情というものもあったり、政治的なこともいろいろあったりすると思いますので、何とも言えないかもしれません。プラスチックそのものも、多摩地域の場合にはほとんど分別、容器包装の国での分別ができていますけれども、23区はそれもやっていないところは今半分くらいですよね。 コンサル(鈴木)  半分くらいです。今23区のうち12はプラの分別収集をやっていますが、残りはこれからで、検討中です。でも、今、東京都が焼却するごみのプラスチックを半分にするという目標を立てたので、補助金を出して、残りの11区にも「やれ、やれ」とやっています。 G委員  分かりました。 江尻会長  ただ、渋谷区がこの8月から始めたので、少し効果が出始めています。 G委員  分かりました。ありがとうございます。 事務局(雨宮)  1点よろしいですか。われわれ行政のほうで今、日々市民の皆さまから問い合わせを頂いている中で、やはり調布市の特徴として23区に接しているというのが地理的な特徴ではあります。やはり世田谷区さんの方が近くに引っ越してきて、調布市民になられた段階で、ごみの有料化というものが実際されているのですが、それに対しての苦情というのはやはり区部から転入されてきた方が多いのかという印象は持っています。 コンサル(鈴木)  23区でしたら、今言ったように世田谷や、それから練馬、杉並辺りは、ここよりは少し密ですけれども、かなり多摩地域と雰囲気が似ています。ですので、あそこら辺はもうやってもいいのではないかと思います。杉並や練馬は、資源の回収量なども有料化をやっていない割には結構いいのです。それから下町のほうで、墨田や葛飾、荒川などもそうですが、あちらのほうに行くと逆に集団回収です。まだ町会がすごいがっちりしています。人情があって、それで頑張っているところです。そういう周辺からやっていって、山手線の内側が問題という感じがします。 江尻会長  ありがとうございました。ほかはいかがですか。どうぞ。 B委員  今のことも少し関連するのですけれども、ごみを急激に半減しなければいけない状況であり、こういう時にやはり過去の歴史を学ぶとういことはすごく大切なことだと思います。その中で、ごみの有料化を先行したところは、日野や立川、あと清瀬などですか。 コンサル(鈴木)  もう多摩地域の市は全部やっています。武蔵村山辺りが最後だったと思いますが、もう全部やっています。 B委員  あと、企業が「リサイクルや容器などまで責任取れよ」というところが、北欧のスウェーデン、ドイツなど、その辺が進んでいますよね。そういう市と国の共通点がないのか、資源がない国だからリサイクルして資源が欲しい、すごく正義感が強い、自由民権運動で先住の人たちがそういう意識が高かったなど、何か共通のポイントがあるのではないかと思って聞いていました。それが何か調布市にも何かスイッチがあれば非常に早く進むのではないかと思いました。  効率良く、時間がない中でごみ問題を解決するには、そういう何か効率いいスイッチのような共通点があったら教えてほしいです。 コンサル(鈴木)  いや、これは正直、私には分からないです。調布市さんの市民参加というか、市民の方々の高まりというのが、どういうあたりにポイントを置いて働き掛けなり参加していただくとさらに動いていけるのかというのは、私はかなり見づらいところがあります。何か日常的に動いていく組織のようなものをつくっていくと、そこら辺が見えてくるところはあるかもしれません。  自分のところのあれで恐縮なのですけれども、日野の場合は、環境基本計画に参加した人たちがそのままごみの市民会議にも参加してきたのですけれども、審議するというよりも、もう当番を決めて、毎週スーパーの店頭に立ってマイバッグ運動、レジ袋を辞退しましょうというのを、いわゆるレジ袋有料化するずっと前からやっていました。こういう形で、当番を決めたり、いろいろしたりして、かなり活動をしたのです。そうやってくると、何か学生さんが面白がって、どこもそうですけれども、結構地元の大学などで協力してくれるところが出てきたり、そういう形で少しずつ動いてくる部分があるのかと感じます。何とも分かりません。 D委員  教育の力もとても大きいと私は思います。調布市の中で環境教育というのを始めたのは多分、私が皆さんにこの間ご案内した時にお話をしたのですけれども、10年前から始まりました。あそこができた時から、あそこの施設の中を見ながらパネルで環境教育を始めたということがあるので、本当に10年です。ですので、そこのスタートがやはり違うのかということがあります。  それから、私は海外に行った時によく見掛けるのですけれども、ヨーロッパにはボランティアボックス、自分の不要になった衣類などを放り投げて入れるボックスのようなものがあります。そこは誰でも取っていっていいというのがあり、要するに恵まれない方へのボランティア意識というのがとても強いので、衣類などに関してはそういう意識が強いのかと思います。だから、これから、特に日本は資源のない国なので、もう外貨がなくなったらエネルギーも食料も買えなくなります。だから、そういう中では教育をして、これからばっちりやっていかないということをやはり教え込む必要があるのと思います。 江尻会長  ありがとうございました。そろそろ時間なのですけれども、どなたか最後お1人、リモートの方はいらっしゃいませんか。よろしいですか。ありがとうございました。それでは、鈴木さん、どうもきょうはありがとうございました。皆さん拍手で。ありがとうございました。 3 報告事項 江尻会長  それでは、勉強会は一応ここまでとさせていただき、次の報告事項に入りたいと思います。調布市一般廃棄物処理基本計画策定についてということです。事務局からお願いします。 事務局(中島)  現行の一般廃棄物処理基本計画が今年度までの計画となることから、令和3年度と令和4年度の2年度にかけて、調布市一般廃棄物処理基本計画策定委員会において、次期一般廃棄物処理基本計画を策定しています。  資料5をご覧ください。全8回の委員会のうち、現在、第6回までが終了しています。第7回は、来月11月の開催を予定しておりまして、第7回策定委員会の後、12月に基本計画案を公表し、一般からの意見を募るパブリックコメントを実施する予定です。審議会におきましては、次回第5回の審議会で、報告事項の中で基本計画案をお示ししますので、パブリックコメントの前に、審議会からのご意見を頂戴することを予定しております。  そういう流れを踏まえまして、本日は現段階の策定委員会での検討内容を抜粋してご説明いたします。資料6をご覧ください。前回第6回策定委員会の資料で、調布市一般廃棄物処理基本計画の骨子案になります。  まず1ページ目には、基本計画の構成、章立てを一覧としてお示ししています。章としては第1章から第5章まで、さらにごみ処理リサイクル実績のデータや補足資料などを掲載した資料編の構成とする予定です。  次に、1ページの左側、第3章の「基本理念と目標」の第1節「基本理念」から伸びる吹き出しをご覧ください。これまでの協議で、基本理念は「すべての人の取組と互いの連携で、より一層の3R(リデュース・リユース・リサイクル)の推進と環境負荷の低減を進め、持続可能な社会の実現を目指します」と決まりました。次に、スローガン案は、「みんなで目指そう! ごみを減らしてゼロカーボン都市 調布」としました。  次に2ページ、計画目標についてをご覧ください。2ページの左側には、目標設定する項目について記載しています。委員会でのご意見を踏まえ、大きく次の4点に考え方を整理しました。  1点目、基本目標とする項目の数は、3つ程度に整理して分かりやすくするものとします。2点目、次期計画においては、ごみ全体の排出抑制を行う観点から、事業系ごみや資源物も含めて排出抑制を目指します。3点目、温室効果ガスについてはゼロカーボン都市を目指す観点から、ごみ処理事業に伴うCO2削減を目指します。4点目、最終処分量については、多摩地域の25市1町が、日の出町にある最終処分場に頼ってきた歴史的な経緯を踏まえ、最終処分量ゼロを継続するものとします。  以上のことから、計画目標を設定する項目は、総ごみ排出原単位、CO2削減量、最終処分量の3つとしました。  次に、2ページの右側から4ページにかけましては、計画目標についての具体的な考え方や推計を掲載したものになります。説明は省略します。  その次の5ページから8ページにかけては、1ページの章立ての中の第4章「ごみ処理基本計画」の4つの節で示している4計画について、策定段階で検討を進めてきた内容をまとめたものになります。各計画にはそれぞれ基本方針が設定され、さらに具体的な計画内容が記載されています。また、各ページの右側に、それぞれの項目に基づく形で重点項目を記載しています。詳細な説明は省略いたしますが、基本計画の根幹となる箇所となりますので、お時間のある時にお目通しいただければと思います。  次回の第5回審議会では、この骨子案を基に作成された実際の計画案をお示しし、ご意見を伺うことを予定しておりますので、どうぞよろしくお願いします。説明は以上です。 江尻会長  ありがとうございました。それでは、ただ今の説明につきまして、ご意見といいますか、説明につきましてのご質問がありましたら声を出していただければと思いますが、いかがでしょうか。よろしいですか。  それでは、その他というところに移りたいと思います。次回の日程についてなどになりますので、よろしくお願いします。 4 その他 事務局(中島)  次回、令和4年度第5回、第10期審議会の3回目の日程ですが、令和4年12月16日金曜日、午後5時30分から、市役所5階の市長公室で開催する予定です。今回と同様に、オンラインを併用した開催を予定しています。後日、参加方法等については改めてご連絡させていただきます。よろしくお願いします。説明は以上です。 江尻会長  ありがとうございました。それでは、次回は12月16日午後5時半30分ということになります。会場もここではなく市役所の5階ということですので、お間違いのないようによろしくお願いします。また改めて事務局のほうから連絡があると思いますので、ご覧いただいて、よろしくお願いします。  それでは、本日はこれをもちまして当審議会を終了とさせていただきたいと思います。ご協力いただきまして、ありがとうございました。 1 1